2024/11/06

神は神, 人は人・・・, 人でしか無い私は神の如く振る舞うことはできない・・・

    神は神, 人は人・・・, 人でしか無い私は神の如く振る舞うことはできません.

    たとえ,  日本基督教団の牧師・隠退牧師であったとしても,  私は,神のみまえで, 主イエス・キリストを神の子, 救い主として信じる,"罪人" に過ぎません. 聖書が語る, "ただの無学のひと" でしかありません.

    無学歴・無資格 (Academic Outsider) の私に, 日本基督教団の牧師になる道を切り開いてくださったのは, 鶴川学院の理事長・島村亀鶴先生でした."どこの馬の骨かわからない, 無学歴・無資格 (Academic Outsider) の君を, この神学校の神学生としては受け入れたくはなかった. 君のようなものを弟子にするのは高倉家の恥だ・・・" といった鶴川学院農村伝道神学校の当時の校長・・・. 神学校を卒業して任地の教会に赴任するとき, 元農村伝道神学校の校長に呼び出されて, "君は神が守ってくれる
. だから, 君は, 君の隣人である私たちを守りなさい" と, 謎めいた言葉を語りかけてきましたが, それは, 私が赴任することになった日本基督教団神奈川教区の開拓伝道所に赴任して, "高倉一門の名にふさわしい" 教会の礎をつくりたいという願望から出てきた言葉であったようです.   "君は神が守ってくれる. 君は, 君の隣人である私たちを守りなさい" という謎めいた言葉は, 神奈川教区の開拓伝道所を元農村伝道神学校の校長であり, 日本基督教団の元総幹事である牧師に譲り渡せという意味で, その牧師により, "どこの馬の骨かわからない, 無学歴・無資格 (Academic Outsider) " と烙印を押された私の排除・疎外と, 若い牧師の宣教と伝道の失敗を, 高学歴・高資格の名門の牧師が引き継いで教会を建設するという計画に基づいたものでした.

    その計画を私が知っているのは, 元農村伝道神学校校長の牧師に呼び出されて, 彼らの計画を直接聞かされたからです. "君は神が守ってくれる. だから, 君は, 君の隣人である私たちを守りなさい" と命令してきたのは, 彼らの "錯誤" でした. 私を散々,排除・疎外して, 利用してきた上で, そんな計画を聞かされても,私がすんなり彼らの計画にのる可能性はなかったのですから・・・. 開拓伝道所の会計問題で, 会計担当役員の管理責任を問われ (伝道所の献金を自分の個人名意義の通帳で一緒に管理していたこと), 辞任することになったとき, 開拓伝道所の役員のなかで,元農村伝道神学校校長とつながりのある役員たちの報道で, 私が辞任することを知った元農村伝道神学校校長は, 突然,主任担任教師をしている東京教区の教会を辞任してしまいました. しかし, 私の後任の人事に付いては, 神奈川教区の総会議長と綿密に話し合って,元農村伝道神学校校長・日本基督教団総幹事の牧師を私の後任として推薦しないことにしました.

    その結果, 私は, 日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会, しかも前任者が自害したといわれる教会に, 30年間幽閉されることになりました. 赴任すると, いきなり, 本籍を被差別部落の中に移し,妻と娘を離縁して, 被差別部落の関係者が指名する被差別部落の女性と結婚するようにという,無理難題を押し付けてくる教会に, "バビロン捕囚" されることになりました. その教会は, 教会設立式の時, 西中国教区幹事として元農村伝道神学校校長が司式した教会でした. 同じ市内にある日本基督教団の教会が分離・独立することに反対したにもかかわらず・・・. 

    ただ, 主イエスさまを信じて,その導きと支えを祈りもとめながらの, 幽閉の地,捕囚の地での30年間でした. その30年間,前任牧師が自害したとされる希望なき教会を支えてきた信徒の方々の要望で, 教会を辞任してはなれるとき, 宗教法人を解散して離れることになりました. 私を西中国教区に招聘することについて私と交渉した西中国教区議長は,私を教会を閉鎖・解散するために送り込みました. 西中国教区議長から直接そう言われました.しかし, なんとか教会を立て直しをしたいと願う信徒の方々 (被差別部落の関係者は全員教会を離脱しましたので, 一般の人々) と30年間維持してきました. 私が, 東日本大震災, 原発事故のよる放射能汚染にさらされた, 妻のふるさと湖南に帰郷・帰農するためにその教会を辞任したいと申し出たとき, 教会役員会は, 教会の閉鎖, 宗教法人の解散を決めました.教会を離れるとき, 教会役員の方々は,"前任牧師が自害したことで, 教会は数年で閉鎖になると思っていたのに, 吉田牧師がこの教会に留まり続けて30年も維持することができました. 私たちも高齢化して,もうこの教会を維持することはできません. 30年間も, 牧師をしてくださってありがとうございました" と挨拶してくださいました. 



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