前任者が自害した, 日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会に赴任したとき, その教会員の半数が被差別部落関係者であると知らされ,着任して日が浅い私に, 市内の被差別部落に本籍を移し,妻と娘を離縁して, 被差別部落の関係者が指名する被差別部落出身の女性と再婚することを求めてきました. それを,聖書の教えに反するといって拒否したところ, "吉田牧師は差別者だ"と烙印を押されることになりました.
彼らは, "吉田牧師は, 被差別部落出身のどの教会員よりも貧しい生活をしなければならない.差別されてきた被差別部落出身の教会員は, '自分たちよりも, さらに貧しい生活をしている牧師がいる' ということで, 自らを慰めてきたのだから・・・.' 同和対策事業で時代が変わり,今度は私たちが貧しい人々を差別する時代に入っているのだから・・・" と理解し難い要求をしてきました.
彼らによる牧師の生活と暮らしの制限は徹底したもので, 牧師は, 主日礼拝のとき以外に石油ストーブを使用してはならないと要求してきました. 教会役員会のときも, 聖書研究祈祷会のときも, 牧師が書斎で説教や週報の準備をしているときも, 暖房器具を一切つかってはいけないと・・・. それは段々エスカレートして, 主日礼拝のときも暖房危惧を使ってはいけないと・・・. 理由は, それを購入するとき, 被差別部落の関係者である教会員も献金したので,その使用を牧師が無断で使用してはいけないと・・・. '被差別部落出身の教会員のなかには, 冬, 石油ストーブもつけることができない教会員がいるのだから・・・' というのがその理由ですが, あるとき, その被差別部落出身の教会員を尋ねてみました. すると,まだ晩秋であるというのに,石油ストーブを炊いて部屋の中はむせ返るようなあつさでした.
その後, 彼らは, "献金をストップして, 牧師を経済的困窮に追い込んだり, 主日礼拝の出席をこばんだりして, 牧師がこの教会を出て行かざるを得ないようにしているのに,牧師とその家族は,いつもにこにこして, 何も困っていないかのように楽しそうに日々を暮らしている. そんな姿を見ると,ますます腹が立ってくる" と怒りをぶちまけていましたが, そのうち, 主日礼拝のときにも, 石油ストーブは使わないことになりました. 被差別部落出身の教会役員が主日礼拝の司会にたったとき,冷えでおなかをこわし,度々, トイレに駆け込み礼拝が中断されるということが起こり, また, 主日礼拝のときだけは, 石油ストーブを使っていいことになりました.
ということで, その石油ストーブは使わないことになりました.石油ストーブだけでなく, オルガンも,購入するときに, 被差別部落関係者の教会員も献金したということで, 牧師も牧師夫人もその娘も, 教会のオルガンに指1本触れてはならないということになりました.ほとんどの被差別部落関係者の教会員は礼拝に出てくることはなくなりましたが, 牧師の監視のために時々礼拝に出てきて, オルガンが使われているかどうか, 確認していました. 教会役員会は, "前任の牧師が自害してこれで教会は駄目になると思っていたのに,若い牧師がやってきてほっとしました.ついては・・・" といって, "讃美歌自動演奏機" を寄付してくださいました. 演奏抜きの主日礼拝から, "讃美歌自動演奏機" を使った風通の礼拝を守ることができるようになりました.
30年間, 冬の礼拝堂で作業をしたり, 牧師の書斎で説教や週報を作成するときも, 私は,一切暖房をしませんでした.妻が入れてくれた湯たんぽを足元において, "教会の冬" を過越ました. そのためでしょうね,妻のふるさと・福島県郡山市湖南町赤津村の "会津の豪雪地帯" の一角を占める場所に棲息するようになっても,その寒さを, "耐える事ができる寒さ" として受け止めることができたのも・・・.
今日の聖書の箇所を読みながら, 教会役員会の要望で, 副業をもちながら, 牧師として, 説教と牧会にたることになったのは, 決して, 聖書の神,主イエス・キリスト,聖霊のみちびきから見捨てられた生き方ではなく, 主のみむねに適った生き方であったのだと確信させられました. 前任者が自害したといわれる,"のぞみなき教会" で30年間,牧師と牧師の家族を支えてくださったのは, 被差別部落関係者の教会員ではなく, 一般の教会員の方々でした.彼らのほとんどは兼業農家で,自給自足の精神にとんだ,神以外のなにものにも依存しないで,聖書の神を信じて生きている信徒の方々でした. 彼らは,被差別部落関係者の教会員も,同じ主なる神さまに救われた人として受け入れていました. 彼らから,差別発言を聞くことことはありませんでした.
教会のなかのトラブルメーカーのひとり, 被差別部落出身の姉妹は,"吉田牧師によって差別され,排除・疎外されている" と近隣の日本基督教団の教会と牧師に訴え, 私の "差別性" に反感をもったその教会と役員会,信徒の方々は彼女を 人権侵害に対する "緊急措置" としてその教会に, 私が牧師をしている教会の役員会に了承をとることもなく移籍させてしましました. 彼女は, その教会にあたたかく迎えられ,充実した信仰の日々を過ごしているとのことだったのですが・・・.あるとき, その教会の牧師から電話がありました. その姉妹が私に会いたいといっているので,"会って,話し合ってほしい・・・" ということでした.その牧師の話しでは, 教会に移籍させた当時はとてもいい信徒でみんな喜んでいたのですが,やがて, 吉田牧師が話していたような言動をとるようになり,彼女のいうことがほんとうのことなのかどうか,教会員が不安におもいはじめ,彼女の言動が常識を逸脱したようなものになっていったことで,牧師と教会役員会の判断で,彼女を精神病院に強制入院させたというのです. 今,精神病院に入院しているので, 彼女にあって,彼女と話をしてくださいということでした. 教会役員会に了承をもとめて,彼女に面会にでかけましたが, 彼女は, 私が誰かを認識することはできませんでした.彼女と話していると,彼女がいう牧師は,私ではなく,自害した前任の牧師であることだと思いました.過失致死を自殺に仕立てた,被差別部落関係の教会員の一人です. 彼女は, 私を忘れても,自殺・自害という汚名を着せた前任牧師のことを忘れることはできなかったのでしょう. 狂気が "差別" を生んでいるのか,"差別" が狂気を生み出しているのか,定かではありませんが, 日本基督教団の牧師が, 宣教拡大のために, 被差別部落出身の教会員と一般の教会員の "融和" のために,本人に知らせたり知らせなかったりして両者を結びつけクリスチャンホームをつくることが, どのような問題を教会にもたらすことになるのか, その一事例なのかもしれません. 部落民であることを隠さず, 身をさらしながら差別と闘っていないと,キリスト教会のなかで,自らの本来の真実の姿を取り戻すことは難しいでしょう. 聖書の福音は, 身元を隠して暗躍するための "逃れの場" ではなく "解放の福音" が語られる場所なのですから・・・.
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