朝, 食事のあと, 妻が, "あなた, 柄合わせの方法を教えて・・・!" と言います.
妻は, "大柄の模様の入った生地を左右対称に縫いたいけれど, くびまわりにくるこの模様が中心からズレてくるの・・・" と話していました. 私は, "生地をデザインするとき, 柄合わせができるように設計されているはず・・・. 左右対称になる中心線があるはずだから,まずそれを見つけたら・・・" と言って, 一緒にその中心線を探しはじめました. そして, 首周り,胸周りで左右対称になる線を見つけました. 妻は, "ああ! 分かったわ! ありがとう! あとは自分で考えて裁断するから・・・" と笑顔を見せていました.
柄合わせをして裁断しても, 縫いずれが起きると柄がズレてしまいます. JUKIの職業用ミシンだとほとんど縫いずれを起こさないで柄に合わせて縫うことができます. 私が, 日本基督教団の牧師になる前に, 株式会社ジューキ倉敷営業所に勤務していたことがありますが, どの代理店に行っても, "縫いずれのおこらないミシンはないか?" と聞かれていました. 本社から送られてきた20‐25cm高さのカタログ・使用説明書・技術指導書などの英文を読んでいて, "縫いずれの起きない環縫いミシン" を見つけました.それを翻訳して, カタログを作成して, 営業所所長に見せたところ, "これは誤訳だ! 縫いずれの起きないミシンなどない! 訳し直せ!"といわれましたが, "誤訳ではありません." と反論すると, 所長は, 本社にFAXをいれて本社の担当者に訳させのですが, 結果, 私の訳は誤訳ではないことが分かりました.
それで, そのカタログを持って代理店を回ったのですが, JUKIの工業用ミシンを扱っている福山ミシンの社長が, "そんなに自信をもって,縫いずれが起きないというなら, 1台注文してやる. ただし, 入荷したら, 俺が君の目の前で分解するから, 君がいうゲージとやらを使って組み立てろ! そのあと,俺がめいっぱい踏むが, 壊れたら,持って帰れ!" と話していました. 所長は, "なんという注文の取り方をするんだ!" と驚いていましたが, 本社は, イタリアのりモルディ社のその製品を1台取り寄せてくれることになりました.
3ヶ月後に入荷したとき, 福山ミシンの社長から預かったデニムニットのバイヤスに切った布2mを試し縫いしてみました.すると, 縫いずれが起きない! 所長は, 機械音痴の私にリモルディ社のゲージを使ってミシンを調整する方法をたたきこみました.そして, 福山ミシンへ・・・. 社長は, "全部分解しても意味がないから,針軸を止めるネジだけを緩めて針軸を動かすので, 専用ゲージとやらで調整しろ.そのあと, 2mのデニムニットのバイヤスを縫い合わせるから,2~3mmでも縫いずれができたら持って帰れ! 壊れても知らねえぞ! " 言ってぬいはじめました. その結果, 縫いずれなし! 社長は, "よっしゃ, 5台注文する!" といって注文書を書いてくださいました. 私は,福山ミシンの社長に頼み込んでそのミシンを貸してもらい他の代理店で宣伝活動をしました.倉敷営業所の一番大きな代理店の社長は, "いいミシンを持ってきてくれた.10台注文する" といって10台注文書を書いてくれました.
縫いずれが起きないということは, 柄合わせが簡単にできるということをも意味し, 工場での生産性が高まります. その時代, 工業用ミシンだけでなく,延反機も高度化し, 柄物の生地を一度に裁断できるようになっていましたから,裁断された生地を縫い合わせするだけで柄あわせができるというのは, 生産性の向上に大きく貢献します.
私は, 株式会社ジューキがイタリアのリモルディ社と提携してその製品の販促をはじめたときのミッショナリー・セールスマンでした.倉敷営業所の担当者の方々は, 工業高校や大学の工学部を出られたセールス・エンジニアでしたが, 私は高校の普通科を出ただけの機械音痴でしたが, 本社から送られてきた英文のカタログやマニュアルを読み進めるにつれて, イタリアのりモルディ社の製品は, ニット縫製の世界最高の製品であると確信しました. 私は, "私には, 技術力も営業力もないけれど, リモルディ社の製品が世界最高の製品であるので,必ず売れる!" と確信を持つことができました. 私は, 東京八重洲の本社に呼び出されて, 社長から表彰状と金一封を頂戴しました.
そのあと, 想定外のことが起きて, 私は株式会社ジューキを退職することになりました. 日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき,教会の近くにあったシンガーの取り扱いミシン店に行って, ベビーロックの中古がないか尋ねました.そのときその店長さんに, 私が株式会社ジューキの倉敷営業所に勤めていたことがあり,代理店の社長に頼まれて, 担当外のベビーロックの販促にも出かけて, 大きな洋裁店や洋裁学校の縫い子さんや生徒さんから5台,10台と注文を受けた事があること, 牧師を隠退したとき, 東北福島の妻の実家に戻って帰郷・帰農すること, そのときベビーロックを持って帰りたいと話したところ, そのミシン店の店長さん, "奇遇ですね. あなたがあの伝説の吉田さんだったのですか? 普通は, 営業成績が伸びないので辞めていく人が多いのに, 営業成績が伸びている真っ最中に辞めていった, 私の前任者がいると聞かされていました.私は, 吉田さんが辞めたあと吉田さんのあとを引き継いだのです・・・" と話しておられました. "吉田さんは, リモルディだけでなくデュルコップのミシンの部品番号を覚えてたんですって? たとえば,○○の部品番号は?" と聞かれるので, "○○の部品番号は△△△‐△△△△です" と答えたところ,とても驚いておられました.
彼は, 株式会社ジューキに, "元社員の吉田さんが勤めていたころのベビーロック EF205がほしいと言われるので, 手に入りませんか?" と電話したところ, "倉庫に1台未開封のBL2-205Aがあるのでそれを渡してください" と言われたとか・・・.EF205は, ベビーロックの原点ともいうべき機種です. シンガーミシンの店長さんは, その改良型のベビーロックを安価に譲ってくれました. それが今,妻が使っているベビーロックです.
私は, 株式会社ジューキを退職したあと, 日本基督教団の牧師になるために準備をして, 鶴川学院農村伝道神学校に入りました.ミッショナリーセールスマンからセールスマンが外れてミッショナリーになりました. 私は無学歴・無資格 (Academic Outsider) ですが, 私が信じている聖書は,真の神の真のことばであり,無学歴・無資格 (Academic Outsider) の私でもその真実を語り伝えることができるとの確信の下に・・・."土の器" である私を, 主なるイエスさまは私を用いてその職務につかせてくださると堅く信じて・・・.
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