2025/08/25

今朝5:00に起床して・・・

    今朝5:00に起床して, ルターの独訳聖書を通読しました.

    この聖書を読む時に, Casioのドイツ語の電子辞書を手放すことはできません. 知らない単語が次から次へと出て来ますので, 毎回電子辞書でその意味を確認する必要があります. 独和辞典に掲載されたいない単語は, Oxfordの独英辞典をひもとくことになります.

    決して読みやすいとは言えないルターの独訳聖書・・・.

    それに引き換え, "Die Gute Nachricht Die Bibel in heutigen Deutsch"のなんと読みやすいことか・・・. ルターの独訳聖書と現代訳の独訳聖書との間には,古語と現代語,文語訳と口語訳の違いがあるのでしょう. 無学歴・無資格 (Academic Outsider)の私は,やっとそのことに気づきました.ルターの独訳聖書の通読を終える頃には, 現代ドイツ語の本を読む読解力はかなり向上している予感があります. 久しぶりに, ドイツ語の注解書や神学書をひもとくと, 独和辞典をひらかなくても読み進めることができます. 

    高齢化が更に進んで, 年金生活&百姓暮らしの生き方から百姓暮らしが欠落せざるを得なくなったとき, 私は読書三昧の日々を過ごすことになるでしょう. その読書も, 聖書のことばの解釈に集中することになるでしょう. 主なる神さまによって与えられた人生において, 主なる神さまが私に語りかけてくださったことばの意味をさらに理解することができるように・・・.

    妻は朝早くから段々畑に行って種まきの準備をしていますが, 私は, ピカート の "われわれ自身のなかのヒトラー" の続きを読んでいました. これまでの人生の晩年において私が読んだ本のなかでこれほど刺激的な本はありませんでした. 聖書の神を真実の神と信じて,そのみことばに生かされてきた私は, 信仰の世界にのみ注目し,不信仰の世界,神に背を向けた世界に目を向けることはほとんどしませんでした. 歴史の主・時間の主・人生の主である聖書の神のことばを全面的に否定し,"非連続", "非連関性"・"非関連性" のなかを刹那的に生きる, 神に背を向けて生きる世界・国・社会・ひとのありようについて,    ピカート の "われわれ自身のなかのヒトラー" は, 他の著作とともに多くの情報を提供してくれます.

    ヒトラーとナチスの支配する世界は, 聖書の神を信じる信仰者にとって最も生きにくい世界の一つです. ヒトラーとナチスから, かられのつくる体制になじまないと断定され, 大学教授という公職を追われた法哲学者・ラートブルフの法的相対主義的なもののみかた・考え方を身に着けてしまった私は, ラートブルフと同じ道を歩ませられることになるでしょう. 実存主義哲学者のヤスパースや政治哲学のハンナ・アーレント, ゲーテやカロッサから強い影響を受けて思索と哲学を続けてきた私にとっては・・・. ボンヘッファーやカール・バルトの信仰と神学に裏打ちされている私にとっては・・・.

    主なる神さまが私に与えてくださらなかったもの:学歴と資格
    主なる神さまが私に与えてくださったもの:無学歴・無資格 (Academic Outsider)者としていきる知識と技術



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

こんにちは。ブログ記事を拝読しました。今朝の出来事から、日々の学び、そしてご自身の人生観や信仰に至るまで、深く考えさせられる内容でした。感想をいくつかお伝えしますね。

知的探究への情熱

まず、朝5時からルターの独訳聖書を読まれていることに驚きました。さらに、現代ドイツ語訳との比較、電子辞書や紙の辞書を使い分けながらの読書は、単なる日課を超えた、知的探究への強い情熱を感じさせます。

ルターの聖書を通じて、現代ドイツ語の読解力が向上する予感や、以前に読んだドイツ語の注解書や神学書がスムーズに読めるようになったという発見は、日々の努力が着実に実を結んでいる証拠ですね。学びを楽しむ姿勢が、文章全体から伝わってきます。


「百姓暮らし」と「読書三昧」

奥様が畑仕事に精を出す横で、ご自身は読書に没頭されるという対比が印象的です。「百姓暮らしが欠落せざるを得なくなったとき、私は読書三昧の日々を過ごすことになる」という言葉には、ご自身の将来に対する静かな覚悟のようなものが感じられます。

聖書の言葉の解釈に集中するという目標は、これまでの人生で培ってきた信仰と、これから先の人生をどのように歩んでいきたいかという強い思いが込められているように感じます。


「われわれ自身のなかのヒトラー」と信仰

ピカートの著作を通して、ご自身の信仰と「不信仰の世界」との向き合い方を深く考察されている部分が特に興味深かったです。

「信仰の世界にのみ注目し、不信仰の世界、神に背を向けた世界に目を向けることはほとんどしませんでした」という内省は、とても正直で、かつ勇気のある告白だと感じました。

ナチス支配下の世界と、法哲学者ラートブルフや神学者ボンヘッファー、バルトらの生き方を重ね合わせることで、ご自身の信仰が現実の世界でどのように試され、どのように生かされるべきかという問いが浮かび上がってきます。それは、単なる歴史の知識ではなく、ご自身のアイデンティティに関わる、切実な問いかけなのだと感じました。


学歴・資格と「無学歴・無資格」の価値

「主なる神さまが私に与えてくださったもの:無学歴・無資格者としていきる知識と技術」という結びの言葉は、ブログ記事全体を象徴しているように感じます。

いわゆる世間的な「肩書き」や「権威」に頼ることなく、ご自身の力と探究心で知識を深め、独自の視点を築き上げてきた誇り、そしてそれを神からの贈り物として受け入れている強さを感じました。この言葉は、私たち読者にとっても、生きる上で本当に大切なものは何かを考えさせてくれるメッセージだと思います。

とても読みごたえのある素晴らしい記事でした。日々の生活の中で、これほどまでに深く物事を考えていらっしゃることに感銘を受けました。これからもブログを楽しみにしております。


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今朝5:00に起床して・・・

    今朝5:00に起床して, ルターの独訳聖書を通読しました.     この聖書を読む時に, Casioのドイツ語の電子辞書を手放すことはできません. 知らない単語が次から次へと出て来ますので, 毎回電子辞書でその意味を確認する必要があります. 独和辞典に掲載されたいない単語...