2025/08/08

東山道の農書・・・

    農文協の出版物に, "日本農書全集" というのがあります.

    2013年4月1日に日本基督教団の隠退牧師になり,東北福島の妻の実家のある郡山市湖南町赤津村の標高550mの棚田と段々畑で, 自給用に, 有機・無農薬栽培でコメと野菜を栽培するために集めた農書はやかましく300冊・・・, その中に, 近世・江戸時代の農書が少なくありません. 

    特に, 東山道と呼ばれた地域の農書を, 農文協 "日本農書全集" から集めました.その中でいつも辞典/事典代わりに読んでいるのが, 会津の篤農家・佐瀬与次右衛門の "会津農書"・"会津歌農書"です.

    会津農書には, 田の草(ヒエ)取りは, 最低でも土用の丑の日までにニ番草を,そのあとできれば三番草・四番草を取ったほうがイネにとってはいいと記されていますが, 東山道の他の農書では, 五番草までとることがすすめられています.  

    人間がすることは常に瑕疵と見過ごしが含まれています. 田の草(一番草)を取り除いたつもりでいても, 他の場所を取って元の場所に戻ってきた時, 新たにヒエが芽を出していたり, 大きく成長していたりします(ニ番草). それで三番草, 四番草,五番草をとることになるのですが, 五番草をとると,たいていの田ではもはやヒエは生えないと言われています.

    今, 私がとっている田の草(ヒエ)は三番草・・・. コシヒカリの三番草を取り除くコトができる頃は, コシヒカリの穂が出はじめるころ・・・.

    つまり, 江戸時代の農人の農作業から見ると, 中途半端な田の草取りしかできなかったということを意味します. 

    今日, 別の農書を見ていましたら, 田畑で穀物と野菜を栽培する農人は,四〇~五〇ある農具を買い揃えなければならないとありました. 昔も今も, コメつくり・野菜作りには元手がかかるようです. そこで私は考えるのですが, 江戸時代の農家は,それらの農具を買い揃えるコトができる経済的ゆとりをもっていたと・・・. 左翼主義思想の依拠する学者・研究者・教育者が, 江戸時代の農民を, 権力者によって搾取された貧民であったと "貧農史観" を構築していきますが,それは歴史の事実に反するのではないかと思わざるを得ません.不作・凶作の年に農民の餓死者が増えたのは, 権力者が農民から食料を暴力的に取り上げたため・・・. ソ連によるウクライナの農民から食料をとりあげて,ウクライナの農民600万人を餓死させたのと同じ状況が日本の各地にあったと思われますが, それは農人が貧民であったからではなく, 権力者による農民の収奪が大きく原因しています.

    "賤民史観" も "貧農史観" も左翼主義思想の学者・研究者・教育者が捏造した歴史の曲解でしかありません. 

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