今朝4:00に起床・・・.
ルターの独訳聖書を通読していましたが, 今日はじめて目にした2つの単語, "Nicht-Gott" と "Nicht-Volk", Casioの電子辞書の独和辞典・独英辞典には掲載されていませんでした. どう訳したらいいのか, 考えていました. それで思いついたのが,
人間:あなたは "Nicht-Gott" (神ではない).
神:あなたは "Nicht-Volk" (人間ではない).
ひとは, 天と地を創造し,生きとし生けるもの, 人間をもつくり守ってくださる聖書の神を真実の神と信じてそのみことばに生かされるときにのみひととなる,しかし, まことの神を認めず, 神に背を向け, 神なくして生きるとき,ひとはひとであることをやめる・・・.
ひとがひとであることをやめたとき
・神ではないものを神とし
・目に見えない神を目に見えるもの (偶像) にして
・その偶像に我が身の五穀繁盛・家内安全を祈願し
・安息日を否定
・父母を敬うことをやめ,年老いた父母の扶養を放棄,場合によっては父母を殺害
・他者を殺害することにためらいの思いをもつことなく
・不倫に走り性犯罪(ストーカー・強姦など)を行い
・窃盗・強盗・詐欺を行う
・平然と嘘をつき誹謗中傷・罵詈雑言をもって他者を貶め, 冤罪を引き起こす
・隣人のもっているもの (家・土地・財産・地位・名誉, 他国の領土・領海・領空・国民・文化・歴史・経済など)を詐取・奪取・侵略する・・・
そんな世界に身を落とすことになるようです (聖書の十戒を無視した生き方・・・).
今朝は6:00から棚田の田で作業・・・. 妻は, 大玉トマトとミニトマトを収穫したあと, 段々畑に行って他の夏野菜を収穫, 8:00 棚田に戻ってトマトを軽トラに積んで家に戻りました. 妻が一緒に戻ろうといったのですが, 私は, 棚田の田で草取りを続けることにしました.
・コシヒカリの田の東西南北の畔の草刈り
・コシヒカリの田の北側の土手の草刈り
・コシヒカリの田の西北付近の農道の草刈り
・コシヒカリの田の西側の農道の草刈り
・コシヒカリの田の西側のなぞえの草刈り
・コシヒカリの田の西の畔際の草刈り
・温水田のコナギの草刈り
・温水田の東側と北側の畔際の草刈り
10:00過ぎには日差しが強くなってきましたので,作業を止めました. エネルギー不足になりましたので, トマトの雨よけ栽培用トンネルの中に, 鍵を外して入り,大玉トマト4個をとって, ペットボトルの水であらって食べました.水分補給・ミネラル補給をかねてのトマトを摂取して10:30ころ後片付けをしていますと, 妻が, 野菜直売所・湖南四季の里に朝採りの野菜を出展して戻ってきましたので,一緒に家に戻りました.
作業を終えたときの気温は27.0°C, 湿度76%, 平均風速1.6m/秒・・・. 作業を終えて椅子に座っているとき, 東の雑木林のなかからミンミンゼミの鳴き声が聞こえてきました. 今年はじめて耳にしたミンミンゼミの鳴き声・・・. 東北福島の妻の実家のある湖南町赤津村では,ミンミンゼミの鳴き声は秋のおとずれを告げる鳴き声です. 温水田の水も冷たく感じました. 農業用水路の水も秋がやってきているようです.
今朝は6:00-10:30 の 4.5時間の作業にもかかわらず,心地よい疲労感で終わりました.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
今日のブログ、拝読しました。夏の終わりの情景が目に浮かぶ、とても興味深い内容ですね。
まず、聖書からの考察が非常に深く、強いメッセージ性を持っていました。ルターの独訳聖書に出てきたという「Nicht-Gott」と「Nicht-Volk」という言葉から、「人間が人間であるために必要なもの」について深く掘り下げていらっしゃいますね。「神を認めないとき、人は人であることをやめる」という一節は、現代社会への問いかけのようにも感じました。その後に続く「人が人であることをやめたとき」に起こる様々な事象のリストは、現実の社会問題とも重なり、ブログのテーマをより鮮明にしていると感じました。
そして、その深い考察から一転して、棚田での農作業の描写に続く構成も面白いです。早朝から精力的に作業に励む様子や、具体的な作業内容のリスト、そしてトマトを食べてエネルギー補給をする様子など、日々の暮らしが丁寧に綴られていて、リアリティと力強さを感じました。
特に印象的だったのは、最後に書かれていた蝉の鳴き声と水の温度の描写です。東北ではミンミンゼミが秋の訪れを告げるという地域性のある情報と、「温水田の水も冷たく感じました」「農業用水路の水も秋がやってきているようです」という身体的な感覚が、夏の終わり、そして秋の始まりを鮮やかに表現しています。深い思想と日常の情景が対比されつつ、最後の部分で美しくつながっている構成がとても見事だと思いました。
全体として、聖書に基づく哲学的な考察と、自然とともに生きる暮らしの様子が織りなす、読後感の豊かなブログでした。このブログを読んで、あなたは日々、深い思索と現実的な労働の両方を大切にされている方なのだろうと感じました。
このようなブログを読ませていただけて、光栄に思います。
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