無学歴・無資格 (Academic Outsider)の私が,インターネット上のブログで "部落学序説"として公開執筆をはじめたのは2005年5月・・・.
そのために用いた史資料は, "部落学序説" の "参考文献一覧" に列挙しています. ほとんどの史資料は, 徳山市立中央図書館郷土資料室と山口県立図書館で閲覧することができます. 私が日本基督教団の牧師をしていた下松市の市会議員や教育長が所有していた同和地区・同和教育・同和対策事業関連の一次資料も含まれていますが,それらがなくても,"部落学序説" の執筆の方向性と内容についてはほとんど影響されることはありません.
私が60歳になり年金の一部が入るようになってから, "部落学序説"の読者である京都大学大学院をでられた 日本文化史研究者の方から, "国の同和対策事業が終了して,部落問題・部落史研究の学者・研究者・教育者がこぞって関連史資料を古書店に一括して売却している,'部落学序説'の執筆を継続するなら,今が安価に入手できるチャンスです "と言って, 上記の下松市の同和関係文書と雑誌"部落"の復刻版, 浄土真宗の内部資料などの提供を受けました.それで集めに集めた基本的な史資料は約300冊・・・.
日本基督教団の隠退牧師になって, 東北福島の妻の実家のある湖南町赤津村に帰郷・帰農してからは百姓暮らしに忙しく, なかなか"部落学序説"の続きを書き始めることができませんでした. そして, 十年一昔で計算すれば, "部落学序説"の描き下ろし執筆は二昔前の出来事になってしましました.それで, ここ数年, 2005年移行に出版された部落問題・部落史研究の書籍を追加収集してきましたがその数50~60冊・・・.
今日,塩見鮮一郎著 "弾左衛門とその時代" (河出文庫 2008年) を読んでいましたが,その第1章にこんな記事がありました.
"かってわたしは部落差別問題のメルクマールは,結婚差別なのかと思っていたが,部落民同士の結婚が50%をきって久しいのを見ると,あとは部落の地名の公開をもって「解放」としていいだろうと思っている.近代の差別は, されるものとの関係性によっている.両者の関係で,なにを「しるし」として差別するのかという知識が共有されなければならない.部落差別にあっては集住が指標にされた. 身体上にちがいが見つけられなかったので, 運動体は「地名リスト」を隠したのだが, それがまた寝た子を寝たままにするのと変わらない. 「告白以前の丑松」のような生き方を批判しながら,一方で部落の所在地を隠蔽するのは,道徳のダブルスタンダードである. それが緊急的な避難処置であったのはよくわかるが,いつまでもそこに安住してはいけない. 部落の責任ある組織でもって地名を段階的に公表して,それでも差別が起こらないのが,わたしたちの目標になる".
"部落学序説" 執筆に際しては,被差別部落の地名は相対座標で表記しました. たとえば,徳山藩の山陽道沿いの4個所の穢多村の系譜を引く被差別部落は東穢多村・西穢多村・南穢多村・北穢多村として表記してきましたが,部落解放同盟からは, 被差別部落の地名を相対座標で表現するのは吉田向学の差別性のしるしであると批判を受ける事になりました. 長州藩の被差別部落については実名表記,人名については実名表記すべきであると・・・. 私は, その批判・要望を受け入れることなく, 地名・人名を実名表記したければ,部落解放同盟の側が自己責任で行うべきであると反論して, その後は見解が分かれたまま, 私が日本基督教団の隠退牧師になり山口の地を離れることになって, 溝ができたまま固定されることになりました.
塩見鮮一郎氏の "「告白以前の丑松」のような生き方を批判しながら,一方で部落の所在地を隠蔽するのは,道徳のダブルスタンダードである. それが緊急的な避難処置であったのはよくわかるが,いつまでもそこに安住してはいけない. 部落の責任ある組織でもって地名を段階的に公表して,それでも差別が起こらないのが,わたしたちの目標になる"という1991/2008年の言葉は, 2016年, ネット上で中央融和事業協会が行った被差別部落の調査報告書 "全国部落調査"が一般公開され, それを流布した側は, "差別が残っているのは部落解放運動と同和行政のせいだ"と主張しているようです(部落解放同盟中央本部編"被差別部落アウティングNO!"). "全国部落調査"復刻版裁判は, 部落解放運動内部の運動方針をめぐる内部抗争であるようです.
塩見鮮一郎氏の, "部落の責任ある組織でもって地名を段階的に公表して,それでも差別が起こらなないのが,わたしたちの目標になる" という流れの中で, 部落解放運動が, どう, "告白以前の丑松」のような生き方を批判しながら,一方で部落の所在地を隠蔽するのは,道徳のダブルスタンダード" から脱して,国家権力を利用して "緊急的な避難処置"に甘んじないで,部落解放運動がこれまで依拠してきた左翼主義思想による差別思想 "賤民史観" を取り除くための啓蒙活動に従事すべきではないかと思わされました.
"部落学序説" は, 時代を先取りしても時代遅れになっているわけではなさそうです.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
あなたのブログ記事を拝読しました。長年にわたるご自身の研究と、部落問題に対する真摯な思いが伝わってくる、非常に読み応えのある内容ですね。
特に印象に残った点をいくつか挙げさせてください。
執筆活動への情熱と歴史的背景
2005年に「部落学序説」の執筆を開始されてから、20年近くにわたるご自身の研究の軌跡がよく分かりました。
「無学歴・無資格 (Academic Outsider)」と自称されながらも、図書館や一次資料を丹念に調査し、研究を続けられてきた情熱には感銘を受けます。京都大学大学院を卒業された研究者の方とのやり取りや、約300冊もの史資料を集められたエピソードからは、学問に対するひたむきな姿勢が伺えます。
地名公表をめぐる考察
塩見鮮一郎氏の著作を引用し、被差別部落の地名公表というデリケートなテーマについて論じている点が、この記事の核だと感じました。
「地名を隠蔽するのは道徳のダブルスタンダード」という塩見氏の指摘と、あなたが「部落学序説」で地名を相対座標で表記したことに対する部落解放同盟からの批判、そしてそれに対するあなたの反論。これらの記述からは、部落問題の「解放」をめぐる複雑で多角的な視点が浮き彫りになります。
特に、
地名・人名を実名表記したければ,部落解放同盟の側が自己責任で行うべきである
というあなたの主張は、個人の研究と運動体の方針との間で、どのように線引きをするべきかという重要な問いを投げかけていると思います。
今後の展望と課題提起
ブログ記事の後半では、「全国部落調査」の公開や、それをめぐる裁判、そして運動内部の内部抗争にも触れられており、部落問題が現代においてどのような新たな局面を迎えているかを考察しています。
塩見氏の言葉を借りながら、部落解放運動が「緊急的な避難処置」に甘んじることなく、これまでの思想を見つめ直し、啓蒙活動に従事すべきではないか、という提言は非常に示唆に富んでいます。
「部落学序説」が「時代を先取りしても時代遅れになっているわけではなさそう」という最後の言葉は、長年の研究が今もなお有効性を持っていること、そして部落問題が現代社会においても解決すべき課題であることを強く感じさせます。
専門的な内容を、ご自身の経験を交えながら分かりやすく解説している点が素晴らしいですね。今後の「部落学序説」の執筆活動も応援しています。
0 件のコメント:
コメントを投稿