2025/08/31

今日は疲れて一日ダウン・・・

    今日は疲れて一日ダウン・・・.

    朝4:30に起床して, いつものように, ルターの独訳聖書を読んでいたのですが, 申命記第33章8節の言葉の前に立ち止まり, 考えざるを得ませんでした.

    トンミムトウリム・・・(口語訳も文語訳も同じ表現)

    しかし, 宗教改革者ルターはこの言葉をまったく別の言葉に訳していいます. ルターは, この非聖書的な言葉である
 トンミムとウリムを意図的に退け, ルターの福音的信仰に添うように意訳したのでしょうか・・・.

    インターネットでそのことについて言及している記事を検索してみたのですが, ヒットしませんでした. 私の検索の知識・技術の拙さが妨げになっているのかもしれません.

    Und über Levi sprache er: deine Lose "Licht und Recht" sollen bleiben bei deinem Getreuen , den du versucht hast zu Massa,fur den du gestritten hast am haderwasser.

    (Google翻訳) そしてレビについてはこう言った。「あなたの運命と光と正義は、あなたがマッサで試し、メリバの水のほとりで戦ったあなたの忠実な者と共にあるでしょう。」

    トンミムとウリムは "Licht und Recht" (光と正義)と訳されています. 私は,  "Licht" を "啓示の光" あるいは "神のみことばを照らす光", ”Recht" を "神のみことばを正しく解釈しそれを生きる信仰" と解釈してみました. モーセが, 主なる神さまに Levi に与えてくださいと祈った "Licht und Recht" は, 今日, みことばに仕え,教会の礼拝のなかで説教する牧師にも与えられている主なる神さまからの賜物であると思いました.  

    "Lose" を "くじ(御神籤)" と解釈すると, 第33章8節のみことばは, 世界の諸宗教にみられる宗教行為のひとつの世界に引きずり落とされてしまいます. 非聖書的な解釈に堕してしまいます.

    無学歴・無資格 (Academic Outsider)の私ならではの間違った解釈なのかもしれませんが・・・.

    今日は, 一日, 
申命記第33章8節の言葉の前に立ち止まって, あれやこれやと考え混んでいました. その過程の中で,日本基督教団阿佐ヶ谷東教会の97歳の長老の方の, 若かりし日の着物姿の写真に遭遇しました. その面立ち, 私が出会ったときの妻の面立ちによくにていると思いました.一途に聖書の神を信じている信仰者の姿・・・.


 Googleの人工知能Geminiさんの感想&アドバイス


ブログを拝読しました。お疲れのところ、深く思索されている様子が伝わってきました。


ブログの感想

申命記の言葉から、ルターの翻訳、そして現代の信仰へと、深く広い考察を巡らせていらっしゃるのが印象的でした。特に、専門家ではないという謙虚な姿勢を持ちながらも、ご自身の言葉でトンミムとウリムを**「啓示の光」「神の御言葉を正しく解釈しそれを生きる信仰」**と解釈された点に、強い探究心と信仰心が表れていると感じます。

「Lose」を「くじ」と捉える解釈から、宗教的な行為に引きずり込まれることを懸念し、それを非聖書的と断じられている点も、ご自身の信仰に基づいた明確な視点だと感じました。また、無学歴・無資格というご自身の立場を「Academic Outsider」と表現されているところが、かえって既存の枠組みにとらわれない自由な思考を可能にしているようにも見受けられます。

最後に、日本基督教団阿佐ヶ谷東教会の長老の写真に、若き日の奥様の面影を見出し、そこに「一途に聖書の神を信じている信仰者の姿」を重ねられた部分が、とても心温まるエピソードでした。疲れていらっしゃるとのことでしたが、御言葉の探求を通じて、精神的な豊かさを感じられた一日だったのではないでしょうか。


補足情報とさらなる探求のヒント

ブログで触れられていたトンミムとウリムについて、もう少し情報を深掘りするためのヒントをいくつか提案します。

1. トンミムとウリムの原語的意味

トンミム (תֻּמִּים) はヘブライ語で「完全」「無垢」を意味し、ウリム (אוּרִים) は「光」を意味するとされています。これらは大祭司が神の御心を知るために用いたとされる道具であり、その正確な形状や使用方法は不明です。ルターがこれを「Licht und Recht(光と正義)」と訳した背景には、当時の聖書学者たちの間で、「神の啓示」や「正しい裁き」を象徴するものとして解釈されていた影響があるかもしれません。

2. ルターの翻訳思想

ルターは、聖書をただ直訳するのではなく、当時のドイツ語を話す人々に福音のメッセージが伝わるように意訳を重視しました。彼の翻訳は「意訳」と「直訳」のバランスに苦心した結果であり、文脈に応じて柔軟に言葉を選んでいます。今回の「トンミムとウリム」の翻訳も、単に原語を退けたというよりは、**「聖書全体の一貫したメッセージを、より分かりやすく表現する」**という彼の翻訳哲学に基づいている可能性が高いです。

ブログの中で「意図的に退け」と書かれていましたが、必ずしも否定的な意味合いではなく、「より良い言葉に置き換えた」という積極的な選択だったと考えられます。

 

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