今朝は5:00に起床, 昨日に続いて朝寝坊・・・.
ルターの独訳聖書を1時間ほど読んで階下におりましたが, 妻はすでに, 有機無農薬栽培の朝採りのために田畑にでかけたあとでした. 今日は, 布引高原まつりの観光客が帰りに野菜直売所湖南四季の里に立ち寄って朝採り野菜を買ってくれるといいますので, 昨日に引き続き, 大量の大玉トマトとミニトマト, 少量のインゲンと小玉スイカを収穫してきました.
今日は, 出展する野菜の袋詰めを手伝わなくていいといいますので, その様子を眺めていました.
日本基督西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき気分転換によく山口県内をドライブしました. 尋ねる先は, 妻の好みに合わせて,山・渓谷・川・滝・海・浜辺・自然公園と廃校になった小中学校の校舎, 山里の農家の暮らし,そして, 山口の各地にある "道の駅" と "野菜直売所"・・・. 気分転換に尋ねた場所は, 東日本大震災と放射能汚染事故のあと, 東北福島の湖南町赤津村に帰郷帰農したときの暮らしとイメージがダブル場所ばかり・・・.
山口の道の駅で農家の高齢の女性たちにいろいろ尋ねていた妻は,今は,彼女たちと同じ存在になっています. 有機無農薬で栽培した野菜を朝採りして出展,交代で店当番をする彼女たちとまったく同じ生き方をしています. 妻は手際よく,夏野菜を袋詰めにしていきます.右手の関節障害で袋詰めする作業に時間がかかる私は,"足手まとい"・・・.
私はといえば, 昨日と今日, よみはじめたピカートの "われわれ自身のなかのヒトラー" を読みながら, 精神的ショックを受けっぱなし・・・. ヒトラーとナチスの出来事は80年前の過去の出来事, 戦後, 世界はヒトラーとナチスの精神世界から離脱したと漠然と思い込んでいたのですが,そうではなくて, 80年後の現代社会に置いても,ヒトラーとナチスの精神世界を再現・補強, あらたな展開を予測させるような状況と事態が現在も継続・継承されていることに愕然とさせられています.
世界の動向から,その国の社会状況,その国の国民ひとりひとりが置かれた状況まで, ヒトラーとナチスの悪しき遺産が継承されているようです. すべてのことをバラバラに分断し, "非関連性"の社会の中で, "質" より "量"のみを追求し, 科学的知識・技術によって "新" しいことを熱心に追い求め, ラジオ・テレビ・新聞・インターネット・人工知能などの機械化されたシステムとメカニズムの中で, 善悪を無視した, その場限りの場当たり的な生き方をよしとする風潮は, 静かにしずかに,現代人の生活と暮らし,思索と行動の中に浸透していっているようです. いかなる "関連性"もない "非関連性" の他者に対する誹謗中傷・罵詈雑言,排除・疎外,いかなる差別も許さないという掛け声に隠された無意識・無自覚の差別性の蔓延・・・. 現代の世界・社会・人間において, いつか, ヒトラーとナチスと "同質"の世界がくりひろげられる可能性が少なくない・・・. それを実証してみせたのが, ロシア大統領プーチンひきいるロシア・・・.
私が高校生のときによんだ本は,実存主義哲学のヤスパース, 法哲学者のラートブルフ,進学者のボンヘッファーやカール・バルト・・・. 反ナチズムの思想家・哲学者が多く, 私のものの見方・考え方, 視点・視角・視座は, ヒトラーやナチズムとは正反対のものです. それなのになぜ, ピカートの "われわれ自身のなかのヒトラー"を読んで衝撃を受けるのか・・・? それは, 私をとりまく, 私が生きてきた社会・人間関係は, まさに, 過去・現在・未来の歴史的時間的 "関連性"を生きる私に向けられた "非関連性" を生きる人々からの憎悪と敵意に包まれたものであることを再認識させられたためです.
ひとと自分の歴史,先祖に由来する歴史と "関連性" をもって生きる生き方と, 先祖の歴史から自分たちを切り離し,脱歴史・非歴史の "非関連性"の中をのみ生きることをよしとする生き方・・・,その両者の葛藤が如実に突きつけられるからです. カール・ヤスパースやハンナ・アーレントの著作を読んだ時と同じような,それにまさる衝撃を受けています.軽く速読するつもりであったピカーとの著作,精読することになりそうです.
この文章を書きながら,妻が袋詰めをした夏野菜の袋に "からだにやさしい農薬未使用野菜" のラベル貼りをしています. 妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農して以来,妻と私は, 有機無農薬でコメと野菜を栽培し, "質" のいいものを野菜直売所・湖南四季の里に出展しています.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
素敵なブログ記事を拝読しました。奥様とご自身の日常が丁寧に描かれていて、とても読みごたえがありました。いくつか感想を述べさせてください。
日常の描写が鮮やかです
文章の冒頭、早朝の起床から、畑に出かけた奥様のこと、収穫したての野菜の様子が生き生きと伝わってきます。奥様が慣れた手つきで野菜を袋詰めする姿と、ご自身がそれを見守る姿が対照的に描かれていて、お二人の関係性が感じられました。特に、「右手の関節障害で袋詰めする作業に時間がかかる私は、『足手まとい』・・・」という部分には、ユーモアと愛情が感じられ、心温まる描写だと感じました。
深遠な思索が胸に響きます
記事の後半で、ピカートの『われわれ自身のなかのヒトラー』を読んだ際の衝撃について語られている部分が、とても印象的でした。歴史上の出来事を単なる過去と捉えるのではなく、現代社会にも通じる普遍的な問題として捉えられている視点が鋭いと感じます。
特に、「善悪を無視した、その場限りの場当たり的な生き方」や「いかなる『関連性』もない『非関連性』の他者に対する誹謗中傷」といった現代社会の側面を、ナチスの思想と結びつけている考察は、読み手に深い示唆を与えます。ご自身の哲学や生き方と、現代社会の風潮との間に生じる葛藤が率直に綴られていて、読者として深く考えさせられました。
「歴史」と「非関連性」という対比
ご自身の「歴史」を重んじる生き方と、「非関連性」を生きる現代の人々との対比は、この記事の主題をなしているように感じます。山口での思い出と故郷・福島での暮らしが重なるというくだりも、ご自身の人生が「歴史」として繋がっていることを示しているようです。
この記事は、単なる日常の報告にとどまらず、深い思索と哲学が込められた優れたエッセイになっていると思います。ピカートの著作の精読を通して、どのような新たな発見や洞察が得られるのか、また次の記事でぜひ拝読したいです。
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