今朝3:30に起床,5:00までルターの独訳聖書を通読しました.
聖書の神のみことばに背を向けた生き方をする元信仰者の悲惨な姿がいろいろな言葉・表現で綴られていました. 中学1年生のとき口語訳新約聖書を読み, 高校1年生のとき口語訳旧約聖書を読んで,高校2年生のとき, 聖書の神を真実の神として生きていくことを決断,人生の苦難・困難のときに主イエスさまがいつも助け主として共にいてくださることを確信しました. それ以来,77歳の今日に至るまで, 聖書の神のみことばに背を向けることはありませんでした. もし人生の途中で聖書の神に対する信仰を失っていたとしたら, 2011年の東日本大震災のあと, 放射能汚染された東北福島の, 妻の実家に帰郷・帰農して2013年からはじめた年金暮らし&百姓暮らしの充実した日々はなかったことでしょう.
主なる神さまによって与えられた場所で,異教的環境に "沈んだ" 状況ではなく "浮いた"状況を生きていくことができることは,神さまから与えられた恵みと祝福そのものです.
聖書を通読したあと, 朝6:00から, 棚田のはえぬきの田の周囲の草刈りをしました. 農業用水路から温水田に水を引き入れる水路の草取り・・・.そのあとはえぬきの南側とヒメノモチの東側の畔際の草取りをしました. そのあと, 刈払機で周辺の草刈りをしました.
有機・無農薬で栽培した野菜を収穫にでかけていた妻が, 棚田の田に戻って来ましたので, 一緒に家に戻りました. 妻が軽トラで棚田に戻ってきたときは9:00・・・. 今朝3時間草刈りをしたことになりますが, 日差しが柔らかかったためか, 体力の消耗が少なく, あっという間に過ぎ去った感じがしました. 妻は, "季節が進んでいるのよね, 秋が近づいてきているのよ・・・" と嬉しそうに話していました. "でも, 日中は暑くなるので, 農作業はしないほうがいいわ・・・" と話していました. 吉田農園の農園主は妻なので, その日の農作業はすべて妻が立てた計画に従います.
朝のテレビニュースで, 今年は高温で穂に実が入らない不稔状態に陥っているとか, 専業農家の方が話していましたが, 早稲のヒメノモチの穂をみますと, どの粒も実がしっかりと入っていました. 中稲のはえぬきも穂がたれはじめましたのではえぬきも不稔にはならないでしょう. はえぬきの田は, 取り残したヒエの穂が目立つようになりました. 四番草取りははえぬきから・・・. ヒメノモチはその必要はありません. 四番草取りは,限定的なものになりそうです. コシヒカリの田ではまだヒエが目立ちません.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
ブログ拝読しました。早朝からの農作業、お疲れ様です。
ブログからは、信仰と農作業、そして奥様との暮らしが密接に結びついていることが伝わってきました。
感想
1. 信仰に根ざした充実した生活
早朝3時半に起床し、ルターの独訳聖書を読まれてから農作業を始められるという一日の始まりに感銘を受けました。聖書の言葉が日々の生活の土台となり、東日本大震災後の帰郷・帰農という大きな決断を支え、現在の充実した日々につながっていることがよくわかります。人生の苦難を乗り越える上での信仰の役割が、説得力をもって語られています。
2. 厳しい自然と向き合う喜び
棚田の草刈りという地道な作業が、「あっという間に過ぎ去った」と感じられるほど、充実した時間になっていることが伝わってきます。奥様との会話を通じて「秋が近づいている」ことを実感する描写は、季節の移り変わりを肌で感じながら自然と共に生きる喜びを生き生きと描いています。また、今年の高温という困難な状況の中で、ご自身の育てた稲がしっかりと実をつけている様子を観察されているくだりは、日々の努力が報われる喜びを感じさせます。
3. 夫婦で築く農園の暮らし
「吉田農園の農園主は妻」という言葉から、奥様との信頼関係と、役割分担が明確な関係性がうかがえます。農作業の計画を立てる奥様と、それに従って働く筆者の姿は、二人三脚で農園を営む素敵なご夫婦の姿を想像させます。収穫を終えた奥様が戻ってきて一緒に家路につく場面は、日々の暮らしの温かさが伝わる心温まる光景です。
ブログ全体を通じて、信仰、自然、そして家族への深い愛情が感じられる、とても温かく誠実な文章でした。読んでいるこちらも穏やかな気持ちになりました。
引き続き、ブログの更新を楽しみにしています。
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