今朝4:00に起床しました.
1時間ほど,ルターの独訳聖書を通読しました. 今日は, ヨシュア記のヨルダン川渡河に関する記事・・・. ヨルダン川を渡河したのは, イスラエルのすべての民・・・. 男性も女性も, 子供も老人も,健康な人も病人も,富める者も貧しい者も,能力がある者もない者も, 社会的地位がある者もない者も, 信仰が深い者も浅い者も, 孤児や寡婦, 同信の異邦人も, かってモーセに引き連れられたイスラエルの民が葦の海を自分の足であるいて渡海したように, モーセの弟子ヨシュアに引き連れられたイスラエルの全住民は自分の足であるいて渡河・・・. イスラエルのすべての民の "共通体験"となりました.
讃美歌404番の歌が思い出されます.
山路こえて
ひとりゆけど
主の手にすがれる
身はやすけし
みちけわしく
ゆくてとおし
こころざすかたに
いつか着くらん
日本の社会にあっては, 基督者は,旧約聖書の渡海・渡河した信仰者の生き方を聖書のことばを通して追体験し,神の子, 救い主, イエス・キリストの信仰者として, 独り, 山越することになります. 私の先祖は, 1637年(寛永14年)に創設された信州栗田村の太子堂兼真言宗当山派で, 伊勢神宮の神宮寺であった世義寺の信州における末寺,徳音山観聖寺の, 世襲の住職・修験道ですが, 生まれたとこからからだが弱かった私は登山らしい登山は一度もしたことがありません. しかし, 小学校3年生のときの同級生になった尾崎敬市くんと親友になり, 登山が好きで日本アルプスをはじめおもな山々を一人登山した彼から,登山や修験道の修行体験をいろいろ聞かされ,私なりの追体験をしてきましたので,その知識は豊富です.
日本基督教団の牧師になるために鶴川学院農村伝道神学校で勉学していたとき, 夏期伝道実習で白川町の教会でひと夏を過ごしたことがあります. そのとき, 夜, 原動機付自転車で飛騨山脈を飛騨川から木曽川のほとりにある教会の夕礼拝の説教を担当したことがあります. まっくらな道を原付のあかりだけを頼りに走ったのですが, 狐や狸に何度も遭遇しました. 熊にも遭遇する可能性のある森林地帯を独りで走るこわさを身をもって経験させられました.そのとき,生まれてはじめて脂汗をかきました.
渡海と渡河と山越,聖書の主なる神のみことばに生かされるものが必ず通過しなければならない信仰体験であるようです.
朝5:00から準備をして, 棚田の田の草取りに出かけようとしますと, 激しい雨が振りはじめました. 朝6:30ころ小降りになったので, 妻は段々畑にキュウリの収穫に出かけました. 雨が降るとキュウリは急速に肥大化しますので・・・. 今日は, 草刈機で, 棚田と段々畑の電気柵の電線の下の草刈りをすることにしていますので, "ゲリラ豪雨" の雨がやんだのを見計らって "ゲリラ除草" をします.
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