今朝は5:00に起床・・・.
起床する時間が徐々に遅くなってきています. これも季節の移り変わりの現象のひとつでしょうか・・・.
真夏日・猛暑日のときは, 朝3:00~4:00に起床して, 朝5:00~9:00頃までがその日の農作業の時間でしたが, 9月に入り, 30~35°C越えの日々が続いているとはいえ,日中の日差しが弱くなり, 朝9:00以降でも農作業ができるようになりました.
生まれたときからからだが弱かった私は, いつも, "無理をしないで, 時間をかけて, 自分のペースで・・・" ものごとをすすめる傾向を見に付けて来ました. それは, 77歳の "後期高齢期" に入って数年が経過した今もなんら変わることはありません.
高齢化による体力の低下はさらにすすみ,体力だけでなく, 知力・精神力も低下していることを認めざるを得ません. 本を読む速度も,読む時間も減少して行っているからです. 高校生のとき1日数時間で読み終えた本も, 今は何日も何週間もかかってしまいます. 1冊の本の読書に集中できず,4~5冊の異なるテーマの本を同時並行で読むのが普通になっています. そのことが, 私の視点・視角・視座をさらに, professional になることから遠ざけ, generalist としての側面を強化していっているようです.
昨夜,寝室のテレビをみながら,妻が,"すごい! すごい!" と感嘆の声を上げていました.なんでも, 99歳の御婦人が息子さんと一緒に富士山登山をしているのだとか,その横を息子さんに付き添われた90歳の御夫婦が富士山登頂を目指して通り過ぎて行ったとか・・・. それで,私も時々そのテレビ番組を見に行ったのですが, 90歳と99歳の御婦人の違いに驚かされました. 10歳の違いがこれほど大きくなるとは・・・.
私はこどものころからからだが弱かったため,登山はほとんど関心はありませんでした.登山をするとき, 別な闘いを余儀なくされましたので,歩き続けることはほとんど不可能でした. 私の祖父・吉田永學の先祖は, 1637年(寛永14)に創立された,信州栗田村の真言宗観聖寺の世襲の住職・修験僧でしたが,その先祖が歩いた大峰奥駆道の最初の地点までたどりつくことはできなかったことでしょう. 先祖は, 修験僧として修験道の聖地巡りをしていますが,体力の低下とともにそれができなくなると60歳のとき隠退します. そして寺内で住職の職務につきます. それもかなわなくなりますと, "隠居" になります. それでも残された "隠居" の役目のひとつは,真言宗観聖寺を,伊勢神宮の御師に宿坊として提供,世話をすること・・・. 伊勢神宮の神宮寺であった世義寺の信州における末寺であった真言宗観聖寺の修験僧は, 伊勢神宮の巫女であったようで, その巫女は地方にくだるときひとつのしるしを与えられました.そのしるしが,真言宗観聖寺の宗教遺産の中に残されていました. 真言宗観聖寺のあとちに住み,その古文書を含む宗教遺産を継承しておられる長野の吉田さんは,息子さんと一緒に,大峰奥駆に挑戦されているようです. 私は, 書籍を通じて疑似体験するのみで,自分の足で大峰奥駆道を歩こうなどとは夢にも思いません.
私は30年間,旧長州藩領地にすんで日本基督教団の牧師をしてきましたので,65歳になって隠退した後は, 30年間,旧会津藩領地に属していた, 妻のふるさと・湖南の赤津村に, 95歳まで自給用にコメと野菜を有機・無農薬栽培していきるという覚悟をもって帰郷・帰農してきましたが, 95歳は,90歳と99歳のちょうど中間点・・・. 90歳までは, 知力 (読解力・分析力・論文作成力) を保持できる可能性があるとして,生きて行ったほうが良さそうです.
妻は,"あなたにはパソコンがあるから,いいわ・・・. 私にはなにもない・・・" といいます. しかし, 私が入手している電子機器は,パソコンとプリンターだけ・・・. 妻は,老後の暮らしを充実させるために,
・高級オーブンレンジなどの調理器具
・JUKIの職業用ミシン
・電子ピアノ
・Sonny のスマホ (中級機)
・OMRONの一眼レフ (中級機)
・俳句をつくるための必要な資料
・90~100歳の女性が書いた老いの生き方に関する書籍
・高齢の女性が書いた園芸に関する本
などを入手して, 妻なりの老いの生き方を追求しているようです. 妻も私も, 95歳まで健康な老後を過ごすことを目標にしているようです. ただ,妻と私は年齢差が7.5歳ありますので,妻は,ひとりになったときどのように老後を生きるかも常に検討しているようです.
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