今朝4:00に起床・・・.
ルターの独訳聖書を読んでいましたが, 文脈から考えて, Casioの電子辞書の独和辞典も"独和言林"にも適訳を見出すことができませんでした.
動詞 bannen の過去分詞なのですが, その関連語の名詞 banner の訳として "修験者" という言葉を目にしたときは, 我が目を疑うほどの驚きの思いを持ちました.それで, 文語訳聖書やNRSVを紐解いて別訳を確認しましたが, 独和辞典にはそれに該当する訳語はありませんでした,
謎めいた 動詞 bannen と関連語の名詞 Banner を前にいろいろ考えることになりましたが, banner = 修験者 という訳は, "独和大辞典" の編集者の私的解釈が反映されたものであり, banner = 修験者という訳は一般的に使ってはいけないと判断しました.
動詞 bannen の過去分詞を "修験道法具" として解釈しますと, ルターの独訳聖書の訳を何となく理解することができますが,その場合は, 修験道 = 異教という前提で, 聖書の神が, イスラエルがアイを攻撃するときに失敗した原因は,その前の戦争で一人のイスラエル人が,イスラエルの神 יהוהが忌み嫌う異教の神々の祭儀に用いる祭具を盗み隠し持っていたことに神が怒りを発したため・・・.
"独和大辞典" の編者の中には, キリスト教≠修験道 という予見が入っていたのかもしれません. 歴史的には, 明治維新のとき,ほとんど同時期に,明治政府によって, キリシタンは邪教ではないと外国に対して弁明され,日本国内においては修験道は "邪教" として禁止・廃絶されたのですから,修験道=異教 (邪教) という発想を学者・研究者が抱く可能性は多分にあります.
私の祖父・吉田永學は,1637年(寛永14) に創設された信州栗田村の真言宗観聖寺の住職・修験僧の長男系列の世襲の末裔ですが, 修験僧であったのは吉田永學の父の時代まで・・・.祖父吉田永學も父も私も,明治政府によって修験道が廃止されたあと, "帰農" した世代・・・.
父祖・吉田永學が所蔵していた史資料は, 弟が結婚したとき,新居に移る際にすべて償却処分にされました. 吉田永學に関する史資料だけでなく, 父や私に関する史資料も・・・. 立命館大学の経済学部でマルクス経済学を専攻した弟にとっては先祖の歴史はまったく無意味・無価値なものになってしまっていたのでしょう. 私が調べたことも, "先祖の歴史を調べても何の役にも立たない.送らなくていい" とのことでしたので,弟に先祖の歴史について調べたことは伝えませんでした.
私は中学1年生のときに新約聖書を読み,高校1年生のときに旧約聖書,文語訳とRSVの対訳新約聖書を読み, 高校2年生のとき,高校の裏山に放課後40日間連続登山して,そのいただきの岩場で坐禅,人生いかに生きるべきかを考え,聖書の神を真の神と信じて生きることにしました. 高校3年生のとき Sweden Covenant Missionの宣教師から洗礼を受ける事になりましたが,そのとき父は猛反対しました. "吉田家はキリシタンを出すような家系ではない"と言って. 親子喧嘩をしていたとき,たまたま母を訪ねてきた徳島の従姉妹の文子姉さんが,"私があなたに代わっておとうさんを説得してあげる" といって,父から許可を取ってくれました.そのとき,従姉妹の文子姉さんから, "あなたの先祖はお坊さんだって. おじいさんもおとうさんもお坊さんを捨てて久しいのだから,あなたにそれを押し付けるのは良くない, 今は新憲法の時代なのだから・・・といって説得したの. あなたは先祖の歴史とは関係なく, あなたが正しいと信じた道を生きればいいのよ."と話していました.
日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会の牧師を辞し,原発事故による放射能汚染された, 東北福島の妻の実家のある郡山市湖南町赤津村に帰郷・帰農することになった前の年,私ははじめて, 祖父・父・姉の本籍が長野県長野市にあることを知り, その場所が, 真言宗観聖寺の跡地で,同姓の吉田さんが住んでいることを知りました. 長野の吉田さんに電話して確認したところ, 奥さんが,"あなたは間違いなく観聖寺の末裔です"と言われ,先祖の歴史をひもとくための門が開かれました.
私の信仰は,生粋の聖書主義信仰,ハイデルベルグ信仰問答にそった信仰なので, 先祖が真言宗当山派の, 伊勢神宮の神宮寺であった世義寺の信州における末寺,聖徳太子を本尊としる太子堂である観聖寺の住職・修験僧であることを知ったあとも,私の信仰は何の変化もありません.
近世幕藩体制下の真言宗当山派の修験寺院と修験僧は,江戸幕府によってキリシタン弾圧と禁教が行われた時代に, 現代の "キリスト教会" と "牧師" と同じ機能を持っていた存在であると確信しました. 宗教・宗旨は異なっていても, 真実をもって,人と世に使えた先祖の生き様に尊敬の念を抱くようになりました. 観聖寺の跡地に住みその宗教遺産を継承しておられる吉田さんから読むことを許された "観聖寺文書" を読むにつけ,日本史のなかで学者・研究者・教育者が解釈するような修験道・修験者に関する像とは,まったくことなる像を見ることができるようになりました. 先祖の歴史は,学者・研究者・教育者にゲタをあずけないで自分で調べる必要を実感させられました.
"独和大辞典" の "banner" に "修験者" という訳をふるのは,おおいなる間違いです!
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
ブログを拝読しました。興味深い内容ですね。
まず、『独和大辞典』の「banner」の訳語に対する考察について、深く掘り下げていらっしゃる点が非常に印象的です。ルターの独訳聖書を起点に、辞書の訳語の不適切さを指摘し、その背景に明治維新期の宗教政策や学者の思想的バイアスがあるのではないかという推論を展開されているのは、単なる語義の探求を超えた、歴史的・文化的考察になっていて読み応えがありました。
ご自身のルーツと信仰の探求について
ブログの後半部分で、ご自身の祖先が真言宗の修験僧であったことを知り、その歴史と向き合っていく過程が綴られています。
・ご家族との葛藤(お父様とのご意見の相違、弟様との価値観の違い)を乗り越え、ご自身の信仰を確立されてきたこと
・キリスト教徒として、祖先の修験道への敬意を抱くに至ったこと
・文献を通じて、学術的な通説とは異なる修験道の姿を発見したこと
これらの個人的な体験が、語彙の解釈という主題と深く結びつき、ブログ全体に説得力と深みを与えていると感じました。特に、**「宗教・宗旨は異なっていても、真実をもって、人と世に使えた先祖の生き様に尊敬の念を抱くようになりました」**という言葉は、ご自身の信仰とルーツが対立するものではなく、むしろ互いに高め合う関係にあることを示唆しており、非常に感動的でした。
さらに深めるためのヒント
ブログの内容はすでに十分に示唆に富んでいますが、さらに読者の興味を引きつけ、思考を深めるためのヒントをいくつか提案させてください。
「bannen」の具体的な文脈の提示: ブログの冒頭で「bannenの過去分詞」と書かれていますが、それがルターの聖書のどの箇所の、どのような文脈で使われているのかを具体的に示せば、読者はその単語の「翻訳できない」感覚をより強く共有できるかもしれません。
「修験者」と「キリスト教」の歴史的接点: 幕末から明治にかけて、修験道がキリシタン弾圧に関わった歴史がある一方で、修験道とキリスト教が相互に影響を与えた可能性も指摘されています。例えば、信仰のあり方や社会における役割など、両者の類似点と相違点をさらに探求してみると、より多角的な視点が得られるかもしれません。
ブログは、ご自身の人生と学問が交差する非常にユニークな視点から書かれており、読者に多くの示唆を与える素晴らしい記事だと思います。今後の更新も楽しみにしています。
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