2025/09/15

第一外国語と第二外国語の違い・・・

     今朝は4:00に起床して,ルターの独訳聖書を通読しました.

    Casioの電子辞書の独和辞典を使っても文章の意味を汲み取れないときは, 『英訳聖書』(NRSV
)を紐解きます. 『英訳聖書』(NRSV)は, 前回通読していますので, 英和辞典を引かなくても読むことができます.

    無学歴・無資格 (Academic Outsider) の私にとって, 第一外国語である英語と, 第二外国語であるドイツ語の間の語学力には大きな隔たりがあります.歳が歳なので, 外国語は英語だけに絞ってもいいのですが, 私がもっている聖書注解書は, ドイツ語の注解書だけ・・・. 西ドイツの聖書注解書と東ドイツの聖書注解書を1シリーズずつ所有しています. なぜ, 東ドイツの聖書注解書を,説教をつくるときの聖書解釈に利用しているのかといいますと, 東ドイツの社会主義の世界の中で,の信仰と神学を守り抜こうとしている試みが,天皇制社会である日本の社会の中でキリスト者として行きて行くときの参考になると思ったからです.

    英語で読める注解書は1冊もありません. 説教をつくるための釈義に利用してきたのは, カール・バルトの"教会教義学"(英訳版全巻)です. 英語で聖書解釈を読むことができる唯一の本です.

    無学歴・無資格 (Academic Outsider) の私は, 一般的には, p
rofessional ではなく generalist として独学してきたのですが, ただ神学的立場は, カール・バルトの "教会教義学" に依拠しています.信仰告白は "日本基督教団信仰告白",信仰問答書は "ハイデルベルク信仰問答書"・・・. 洗礼を受ける前に,Sweden Covenant Mission (日本名は端典組合教会)の宣教師からその手ほどきを受けました.私が洗礼を受けた時代は, Sweden Covenant Mission で "日本基督教団信仰告白"が教えられていたのですよね・・・. 礼拝のときに使用している聖書は日本聖書協会の "口語訳聖書", 讃美歌は "日本基督教団讃美歌"・・・. 牧師になるときに, Sweden Covenant Missionの役員会から, "無学歴・無資格 (Academic Outsider)のあなたを神学生として送り出すことはできない"と言われ,それを知った日本基督教団十文字平和教会の鷲見十郎太牧師が,その師である,富士見町教会牧師で鶴川学院の理事長をされている島村亀鶴先生の推薦状をとってくださり,それをもって,鶴川学院農村伝道神学校を受験することになりました.    Sweden Covenant Mission から日本基督教団への転会は, 私の信仰と神学に影響を与えるものではありませんでした. "水を得た魚" のように, 日本基督教団阿佐ヶ谷東教会の信徒として充実した信仰生活の日々を過ごすことができました.

    当時の農村伝道神学校の校長は, 入学後,校長室に私を呼び出して, "ほんとうなら,無学歴・無資格 (Academic Outsider) のどこの馬の骨かわからない君をこの神学校の神学生として受け入れたくはなかった.しかし, 君が, 鶴川学院の島村亀鶴理事長の推薦状を持ってきたので止むを得ず受け入れざるを得なかった.無学歴・無資格 (Academic Outsider)の君は, 私の弟子になることはできないので, そのつもりでいなさい"と引導を渡されました.そして, 島村亀鶴先生に呼び出された私は, 島村亀鶴先生から,"私の弟子になりなさい" との言葉を頂戴することになりました. 明と暗とが入り混じった神学校生活4年間は, 独学中心の学びのときになりました.  

    日本基督教団の隠退牧師になり, 東北福島の妻の実家のある郡山市湖南町赤津村に帰郷・帰農してからは, 説教のための釈義をすることはありませんが,私と妻の信仰のやしないのために聖書通読を続けています. 人生最後の聖書通読は, "The Complete Hebrew-Greek Bible" (旧約聖書のヘブル語原典と新約聖書のギリシャ語原典の合本)に挑戦することにしています. すでに入手済ですが, "論語読みの論語知らず" ならぬ,時々取り出しては,意味を考えることなく, 音読しています."The Complete Hebrew-Greek Bible"が私の人生における最後の読書になります. 日本語でも英語でもドイツ語でもなく・・・.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

読ませていただきました。ブログ記事、ありがとうございます。


読み応えのある、深い内省の記録ですね

率直な感想として、とても読み応えがありました。ブログというよりは、ご自身の人生と信仰、学問への向き合い方を深く掘り下げた、私的なエッセイのようにも感じました。

「第一外国語と第二外国語の違い」という導入から、ルターの独訳聖書通読、英訳聖書(NRSV)、そしてご自身の神学的な学びの歩みへと話が展開していく流れは、自然でありながらも読者の興味を引きつけます。

特に印象に残ったのは、**「無学歴・無資格 (Academic Outsider)」**という言葉を繰り返しながら、ご自身の学びの姿勢と向き合ってきた人生を語られている点です。

  • 独学と探求の旅: 形式的な学歴や資格とは一線を画した、ひたすら知を探求する姿勢が伝わってきました。カール・バルトの『教会教義学』を英語で読み解き、さらに東ドイツの注解書から日本の社会に活かせるヒントを探すなど、ご自身の問題意識に基づいて真摯に学び続けていらっしゃる様子に心を打たれます。

  • 「明」と「暗」が混じり合った経験: 神学校での「受け入れざるを得なかった」という言葉と、「私の弟子になりなさい」という言葉の両方を受け止め、独学を中心とした学びを深めていくくだりは、ご自身の人生に対する強い意志を感じさせます。

  • 人生最後の読書への挑戦: 「人生最後の読書は、”The Complete Hebrew-Greek Bible” に挑戦する」という一文には、これまでの学びの集大成であり、これから続く探求の旅への決意が凝縮されているように感じました。

このブログ記事は、表面的な語学学習の話を超えて、一人の人間が自身の信仰と学問をどのように深めてきたかという壮大な物語を描いています。読者に対して、学びのあり方や人生の選択について深く考えさせる力があると思います。


より多くの読者に届けるために

これは提案ですが、もしこのブログ記事をより多くの読者に読んでもらいたいとお考えでしたら、以下のような要素を加えてみてはいかがでしょうか。

  1. 導入のフックをより具体的にする:

    • 今のままでも十分魅力的ですが、「なぜ、第一外国語(英語)と第二外国語(ドイツ語)を使い分けて聖書を読むのか?」といった問いかけを冒頭に入れることで、読み始めの興味をさらに惹きつけられます。

  2. 専門用語の補足説明:

    • 「ルターの独訳聖書」「NRSV」「カール・バルト」「教会教義学」「ハイデルベルク信仰問答書」といった専門用語の簡単な説明を括弧書きなどで加えることで、神学やキリスト教に詳しくない読者にも内容が伝わりやすくなります。

  3. 章立てや見出しの活用:

    • この記事のように内容が深い場合は、小見出し(例:「無学歴・無資格の学びの道」「神学校での出会い」「人生最後の挑戦」など)を設けることで、読者が文章の構成を把握しやすくなり、より読み進めやすくなります。

これらの提案はあくまで一例です。このブログ記事は、ご自身の内面を率直に綴ったところに大きな価値がありますので、ご自身の意図に合わせて調整してみてください。


このブログは、ご自身の人生を振り返る貴重な記録であり、同時に読者にとっても、学びや信仰について深く考えさせられる素晴らしい内容でした。ありがとうございました。

もしよろしければ、人生最後の読書に挑戦中の「”The Complete Hebrew-Greek Bible”」について、またいつかブログで教えてください。

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