2025/09/25

天気予報通り,午後本格的に雨が降り始めた・・・

    天気予報通り, 午後本格的に雨が降り始めました.

    天気予報通りといっても, 郡山市湖南の天気予報ではなく, 会津若松市の天気予報通り・・・. 午後, 湖南の天気予報はくもり, 会津若松市の天気予報は雨・・・. しかし, 湖南町赤津村の実際の天気は,会津若松市と同じ雨・・・.

    行政区画は中通りの郡山市に属しても,自然・気象は会津地方に属します.いろいろな天気予報は, その事実を過小評価したり無視して, 郡山市湖南町の天気予報も郡山市の天気予報に準じて予想を立てているようで,どこまで科学的な天気予報がなされているか,少しく疑問に思います.

    東風や南風が吹くときは, 湖南の赤津村の天気は, 中通の郡山市と同じ天気になり, 西風や北風が吹くときは,会津若松市と同じ天気になります. 風の吹き方で, 湖南の赤津村の天気は,あっちについたり, こっちについたり・・・. その自然環境の傾向は, 湖南の赤津村の人間模様にも反映されているようです. あっちについたり,こっちについたり・・・. その時その場で吹く風に身をまかせながら,自分の利益を追究していくところに,湖南町赤津村の住人の共通の属性があります. "ここらのもん"のあっちにもこっちにもつくことのない, "よそもん" である妻と私はどちらからも排除・疎外される存在・・・.

    隣村出身の高校教師・結城昭八さんの "心象童話 流れる雲と野と人の賛歌"にこんな言葉があった. "総じて利害損得が優先する人の世なれば, 喧々囂々とどまるところを知らないのが常道だろう.彌陀の里は今その常道と化している.
"  彌陀の里は, 妻の実家の母方の生家がある場所の近く・・・. 彌陀の里だけでなく, 栗生の里も, 小枝坂の里も,利害損得の優先する人のようになって久しい."吉田とつきあってはなんねえぞ. 吉田はカネさ持ってねえ!付き合うと損をするぞ!" と触れ回った,妻の実家の父方の親類筋のプロの農家,まだまだ若い時の威勢は今はなく,みんな高齢化して,口先以外は老化の一途をたどっています.  

    雨が降ると,私がよく口ずさむ歌は, 北原白秋作詞の "雨" という歌・・・

    
雨がふります 雨がふる
    遊びにゆきたし 傘はなし
    紅緒の木履も 緒が切れた

    雨がふります 雨がふる
    昼もふるふる 夜もふる
    雨がふります 雨がふる 

    父が倒産して, 貧困と病気の悪循環に突入していたこども時代,同い年の幼馴染は女の子2人・・・. どの家に遊びにいっても,そのお母さん, その娘たちに,"貧乏人の子供と遊んではいけません. 貧乏がうつるから・・・" と話しているのを耳にして, 遊びに行かなくなりました. 生まれたときから身体が弱かった私は,近所の男の子と遊んだ記憶はなく, 1つ年上のみさちゃんと,ひとつ年下のよしみちゃんというふたりの女の子とだけ一緒に遊んでいました.両隣に, 軒の下を通って遊びに行くので,傘は必要でありませんでした. でも, "雨" という童謡の歌詞とメロディは,おさないころの私の気持ちそのものです. 

    生まれてはじめて自分の傘を手に入れたのは, 小学校に上がるとき, 近くの花屋さん(切り花と傘と下駄の販売)のおじさんが,入学祝に,小学校と私の名前の入った日本傘をプレゼントしてくださいましたが,そのときの新しい番傘の匂い,いまだに忘れてはいません. 78歳になったいまも・・・.


 Googleの人工知能Geminiさんの感想文


ブログ記事を拝読しました。地域の気象と人々のあり方を結びつけた、大変興味深く、深い洞察に満ちた内容だと感じました。

感想

気象と地域性の描写の鋭さ

まず、天気予報と実際の天気のズレから話を展開されている点が非常に引き込まれました。郡山市に属しながら、気象は会津地方の影響を受けるという具体的な事例は、「行政区画と自然環境の不一致」という、住んでいる人にしかわからないリアリティがあります。

特に、**「風の吹き方で、湖南の赤津村の天気は、あっちについたり、こっちについたり・・・」という描写が秀逸です。この自然現象を、続く段落で「湖南の赤津村の人間模様」**に重ね合わせている点が、このブログの核となる鋭い洞察だと感じました。

地域社会の人間模様への深い言及

気象の描写から、地域住民の**「あっちについたり、こっちについたり」という属性、すなわち「その時その場で吹く風に身をまかせながら、自分の利益を追究していく」**という行動様式への考察に繋がるところは、詩的でありながらも、非常に厳しい現実を捉えています。

ご自身と奥様を**「どちらからも排除・疎外される存在」**である「よそもん」と位置づけることで、その地域の利害優先の構造がより鮮明に浮かび上がってきます。結城昭八さんの言葉を引用されている部分も、その地域の普遍的な問題として捉えようとする筆者の視点の広さを感じさせます。

「雨」の歌と個人的な記憶

文章の後半で、雨が降ると口ずさむという北原白秋の「雨」の歌へと視点が移り、個人的な貧困と疎外感の記憶へと深く潜り込んでいきます。

童謡の歌詞とご自身の幼少期の心情を重ねることで、前半で述べられた「地域社会からの疎外」のテーマが、筆者の個人的な原体験に根ざしていることが伝わってきます。「遊びにゆきたし 傘はなし」「貧乏人の子供と遊んではいけません」というエピソードは、読む者に強い共感を呼び起こし、地域社会の利害優先の構造が、個人の人生にどれほど影を落とすかを静かに示唆しています。

そして、初めて手に入れた番傘の「匂い」の記憶で文章を締めくくることで、疎外と孤立の中にあった子ども時代のささやかな喜び、あるいは「守られた」感覚が鮮やかに表現され、非常に余韻のある終わり方になっています。

まとめ

気象という日常的な事象を導入に、地域の歴史・文化、人々の普遍的な属性、そして筆者自身の深い個人的な記憶へと、多層的に展開されている素晴らしい文章です。叙情的でありながら、社会や人間への洞察が鋭い、読み応えのある記事でした。


お読みになった方が、天気の話題から思わぬ深みに誘われ、ご自身の身の回りにある「風」と「利害」の関係について考えさせられるような、非常に魅力的なブログ記事だと感じました。

  

0 件のコメント:

コメントを投稿

"あんたとは話にならない・・・"

    夕方,湖南の赤津村の某組合の会計監査をしていた人がやってきました.     A:話があるんだけれど, 世の中の常識では・・・     私:世の中の常識・・・? あんたのいうことはまともに受け止めることはできねえ! あんた, 某組合の会計監査をしていたとき,ウソの監査をした...