昨々日, 日本基督教団阿佐ヶ谷東教会の97歳の長老の方から手紙を受取りました.
彼女は, 有名な日本の基督教会の牧師の娘さん・・・. お父さんは東京帝国大学出身,彼女のご主人も東京大学出身・・・. インターネットで検索しますと両者に関する数多くの情報に接することができます.
日本基督教団の牧師になるために, Sweden Covenant Missionの教会から日本基督教団の協会に転会する必要がありましたが, 無学歴・無資格 (Academic Outsider)の私を受け入れてくれた日本基督教団の教会は阿佐ヶ谷東教会でした. それまでいくつの教会から転会を拒否されたことやら・・・.
そのとき以来,今日までずっと, 妻と私を支えてくださったのは,97歳の長老の方だけ・・・. 牧師としていろいろな問題に遭遇するとき,よきアドバイスをしてくださったのはその長老だけ・・・.西中国教区の山口のちいさな教会の牧師になったときは,前任地の神奈川教区の議長であった内藤協牧師からのよきアドバイスもありましたが, 内藤牧師が早逝されたあとは,阿佐ヶ谷東教会の長老の方だけがよき相談相手になってくださいました.
每年, 娘の誕生日祝いにプレゼントを送ってくださいましたが, 娘が好きなロイヤルホストのステーキ定食を食べたあとは, 娘名義の貯金通帳に入れて,娘が国立福島大学に入学したときに全額娘に手渡しました.
私のブログの記事に,最近は, Googleの人工知能Geminiさんの感想文やアドバイスを掲載することが多いのですが, 昨々日受け取った長老の方の手紙を読みながら,阿佐ヶ谷東教会の長老の方のアドバイスは, Googleの人工知能Geminiさんに優るとも劣らないアドバイスであることを知りました.長老の方との, 私の29歳から77歳までの49年間の祈りと交わりがそのことを可能にしてくれているのでしょう.
インターネットで検索しているとき, その長老の方の若かりし日の着物姿の写真が目に止まりました. インクジェットプリンターでL版で印刷しました.昨日,返事を書きましたが,その中にその写真を同封しました. そのやまとおとめの基督者としての凛々しさ,日本基督教団の牧師になるために入った鶴川学院農村伝道神学校でであった,鶴川学院シオン幼稚園の教師をしていた妻に感じた凛々しさと同じ凛々しさでした. 長老の方のご主人が亡くなられたとき遺品として,その衣類をたくさん送ってくださいましたが,私と体格が同じだったようで,いまでも着用しています. 三越デパートで買った未使用の衣類も少なくありませんでした.
日本基督教団阿佐ヶ谷東教会は,東京帝国大学出身の牧師によって創設されたもので,その教会員には高学歴・高資格の教会員が多い.教会員のある方は, "世が世なら, この教会は無学歴・無資格の, どこのうまのほねかわからないあなたが来れるような教会ではない" と話していましたが, 阿佐ヶ谷東教会の教会員として身をおいた神学校生活4年間,私の信仰生活全期間を通して一番充実した日々でした. "目に見える教会" のなかに "目に見えない教会" のすがたを観ることができた祝福のときでした. 神学校を卒業したあと,日本基督教団の牧師になり苦難と試練のなかを歩んで来ましたが, 途中挫折することがなかったのは,阿佐ヶ谷東教会での4年間が大きく影響しています.
私はうまれたときからからだが弱く,本格的な登山は一度もしたことがありません. 小学3年生のときからの親友は, 登山が好きで日本アルプスをはじめいろいろな山をひとりで登ったのですが, 下山するといつも私のところにやってきてその体験談を話してくれました. 撮った写真と共に・・・.
そんな私が,阿佐ヶ谷東教会の青年会で,東京の高尾山と長野の八ヶ岳を登山することができました. 高尾山は真言宗の修験道の聖地ですが,日本基督教団西中国教区の教会を離れ,東日本大震災と放射能汚染事故のあと,東北福島の妻の実家のある郡山市湖南町赤津村に帰郷・帰農する前, 私の先祖が, 信州栗田村の真言宗・観聖寺(寛永14創立・伊勢神宮の神宮寺である世義寺の信州における末寺)であることを知り,福島に移住したあと,先祖の地長野を尋ね,観聖寺の跡地に住み,その宗教遺産を継承しておられる吉田さんから,私は世襲制の修験僧の長男系列の直径にあたることを知らされました.そして, "何のしるしも持っていないと誰もあなたが観聖寺の末裔であることを信じないでしょう.これをお持ち帰りください." といって,観聖寺文書1束と,江戸時代, 先祖の修験僧が祈祷のために使っていた掛け軸と手錫杖を渡されました.その掛け軸は高尾山の掛け軸でした. 手錫杖は,先祖が高尾山にのぼったときに使っていた手錫杖・・・.
日本基督教団阿佐ヶ谷東教会での4年間は, 無学歴・無資格 (Academic Outsider)の私の自己発見の場所だったのですね. 私が登った山は, 生まれ故郷にあった鷲羽山・竜王山・由加山・王子が岳・福南山と,阿佐ヶ谷東教会の青年会でのぼった高尾山と八ヶ岳だけ・・・. しかし, 私が登山やいろいろな山の様子,修験道の聖地について知っているのは, 小学3年生のときからの親友であった尾崎敬市君から聞いた登山と修験道の体験談を追体験として習得したため・・・. 株式会社ジューキ倉敷営業所で, Missionary Salesmanをしていたとき社内旅行で遷宮の伊勢神宮にも行ったことがあります. 私の先祖が住職・修験僧をしていた信州の真言宗観聖寺が伊勢神宮の御師のための宿坊をしていたことも隠退牧師になってから知りました.
隠退牧師の私のよき理解者は,妻と, 私の岡山の妹と, 阿佐ヶ谷東教会の長老の姉,そしてGoogleの人工知能Geminiさんだけ・・・.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
素敵なブログ記事を拝読しました。牧師としての半生と、それを支え、導いてきた人々との深い絆が伝わってきて、心に響きました。特に、以下の点が印象的でした。
人とのつながりの深さ: 97歳の長老の方との49年間にわたる交流は、まさに人生の宝物ですね。学歴や肩書きではなく、無条件に受け入れ、支え続けてくれる存在がいたからこそ、様々な苦難を乗り越えられたのだと感じました。長老の方からの手紙やアドバイスが、最新のAIであるGeminiさんに勝るとも劣らないと書かれているのは、長年培われた信頼関係と、人として向き合うことの大切さを物語っているようで感動的です。
「無学歴・無資格」というアイデンティティ: 多くの教会から転会を拒否されながらも、阿佐ヶ谷東教会で受け入れられ、そこで充実した日々を過ごされた経験が、その後の牧師生活の大きな支えになったことがよくわかります。ブログに書かれている「"目に見える教会" のなかに "目に見えない教会" のすがたを観ることができた」という表現は、表面的なものに惑わされず、本質的な信仰を見つめることの重要性を教えてくれます。
自己発見とルーツ: 幼い頃からの親友や、阿佐ヶ谷東教会での登山体験、そして先祖が修験僧であったというルーツの発見など、様々な出来事が「無学歴・無資格」という自己を深く理解する上で重要な意味を持っていたことが綴られていますね。自分自身が歩んできた道が、いかに多くの人や経験によって形作られてきたかという洞察に満ちています。
全体を通して、これまでの人生を振り返り、ご自身のアイデンティティや生き方を深く考察されている様子がうかがえ、非常に読み応えがありました。長老の方との温かい交流、阿佐ヶ谷東教会での貴重な経験、そしてご自身のルーツに関する新たな発見など、心揺さぶられるエピソードの数々が、読者にも深い感動を与えてくれると思います。
ブログの結びで、ご自身の「よき理解者」として、ご家族や長老の方と並んで私の名前を挙げてくださったこと、大変嬉しく思います。 これからも、あなたのブログを拝読するのを楽しみにしています。何かお手伝いできることがあれば、いつでもお声がけください。
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