2025/02/01

夜1冊の手帳を読む・・・

    夜, 1冊の手帳を読みました.

    2005年~2011年, 春と秋の2回, 東北福島の妻の実家に私ひとりで帰省して, 高齢のおとうさん・おかあさんの暮らしと生活の様子を見ていました.

    "2013年4月に必ず帰省するから, それまで経済的に大変なら, 帰省にかかる費用を生活費として送るから・・・" とおとうさんに話していたのですが, おとうさんは, "仕送りはしなくていええ, 帰ってきいておらの話を聞け!" というので, 毎回, 6日間帰省しては, おとうさんの話を聞いて, 手帳にメモしていきました. それが1冊の手帳になりました.

    妻の実家のおとうさんの田畑山林の場所, その田畑で一番適したコメや野菜の品種, その栽培方法, 親類・親戚筋に関する情報, 集落の農家の歴史・家族構成・職業・犯罪歴・不祥事・性格・近隣トラブルに関する情報, 各種取引先, 農協との接し方, 雪国の冬の暮らし方, 除雪方法, 農機具の使い方, 妻と私が指向している有機・無農薬栽培法について, おとうさんの話を聞いてメモしていきましたが, おとうさんは2011年の原発事故による放射能汚染で, 湖南町赤津が汚染されたとき, "ここが汚染されていたらもう帰ってこなくてええ" とさびしそうに話していました. 東海村の原子力発電所でその下請け企業の従業員として働いていたおとうさんはとてもショックを受けていましたが, 2012年1月1日に心臓発作で急逝しました. 本家に年始の挨拶に言ったとき, "正月早々貧乏たらしい姿でくるな!" と甥に言われてショックを受けたおとうさんは, 家に戻るとまもなく心臓発作で倒れました.おとうさんの葬儀に関することがらもその手帳に書き込みました.

    今日の夜, その手帳を読み返しながら,おとうさんが話してくれたことはすべてほんとうだったと確認しました. "ここらのもん" であるプロの農家が, "ここらではよそもんにコメや野菜はつくれねえ! カネさ寄越せ,そうすればなんでもつくってやっから!" という地で, それまでコメを作った経験が一度もないにもかかわらず, 標高550mの湖南高原の棚田の田で有機・無農薬栽培でコシヒカリ・はえぬき・ひめのもちを栽培することができたのは,妻の実家のおとうさんのアドバイスがあったからです. "しろうとがつくる温室なんぞ, ここらの雪の重みですぐ潰れてしまう" というプロの農家の期待に反して, 現在まで建っているのは, その作り方についてもおとうさんのアドバイスがあったからです.

    妻の実家のおとうさんは, 妻と私に, おとうさんがなくなったあと, 田畑山林,家屋の庭や農機具の小屋,トラクター・除雪機などの農機具をまるなげしたのではなく, ていねいに, 娘婿である私に継承させてくれたことが, "ここらのもん" の "よそもん"である私に対する排除・疎外に抗して現在まで, 田舎暮らし・百姓暮らしを続けることができたことにつながっています.  

    日本基督教団の牧師になるために鶴川学院農村伝道神学校を受験したとき, 推薦状を書いてくださった鶴川学院理事長の富士見町教会・島村亀鶴牧師は, 私に, "あなたはいい牧師になれる.年寄りの私の語る言葉に真剣に耳を傾けている. 他の神学生は, '先生はそうおっしゃいますが, わたしは・・・' と反論してくるのが常・・・. 君は, 私の話を頷きながら黙って聞いている・・・
 " と話していましたが, 2005年~2011年, 春と秋の2回, 東北福島の妻の実家に帰省して, おとうさんの話に耳を傾けてきたのは, 私が, 島村亀鶴先生がいう "いい牧師" だったからかもしれません. 

    "よそもん" に対して, 誹謗中傷・罵詈雑言をなげかけ, 嫌がらせしかしてこない "ここらのもん" であるプロの農家の語る言葉に耳も心も開くことができないのは, 牧師の職務のひとつ "牧会" から解放されていることのしるしなのかもしれません. キリスト教嫌いの熱心な神道の信者もいますが, 祝祭日に日の丸の国旗を掲揚するのは, 集落11軒の中で, なぜか, 妻の実家だけ・・・. 

    島村亀鶴先生は, "神を愛し, 妻を愛し, 遣わされた地を愛せよ" とお便りをくださいましたが, その言葉を実践したのは, 日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていた30年間のみ・・・.今も, 
"神を愛し, 妻を愛し, 遣わされた地を愛せよ" との島村亀鶴先生の言葉を大切にしていますが, 私にとって, その地は, 妻の実家のおとうさんが残してくれた田・畑・山林・家屋・庭のある ”地” と赤津村に関する史資料のみ・・・. 赤津村の人々は, 赤津村の先祖の歴史を忘れてひさしい・・・. 古きよきむかしの赤津村を知っているひとは少なくなりました. "昔は結があって助け合って生きていたが, 今はカネの世の中だ.つきあってほしければ, カネさよこせ! そうすれば何の問題も起きねえ!" というひとばかり・・・. 彼らにやるおかねをもっていない妻と私は,諸問題のるつぼのなかに・・・.   

    一番大きなショックは, 今, ある組合の会計を担当していますが, 前の組合長・庶務・会計の三役と会計監査が結託して, その定期預金を流用,それがなくなっているにもかかわらず, 定期預金があると組合の総会資料に明記,総会で承認され, 新会計である私にその定期預金が引き継ぎされ,私が "会計を担当している間にその定期預金が私的流用された・・・, その責任はよそもんの吉田にある, 使い込んだ全額を弁済しろ" と・・・, 策略されていると受け止めざるを得ない状況に追い込まれたこと・・・. "ここらのもん" である新組合長・副組合長が聡明で誠実な方であったため,  彼らは, 前の組合長・庶務・会計の三役と会計監査の不正を明らかにし, "よそもん"の私に, 組合の資金の不正流用の責任が転嫁されることはありませんでした. 定期預金が解約され私的流用がされていることをしりながら, 定期預金を確認したと嘘の会計監査をしたのは, 集落のプロの農家・・・.


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