午前10:00から, 妻の実家の棚田の田に,脱穀したあと仮置きしている, KUBOTAのハーベスタHH701を,妻の実家の農機具の小屋に持って帰り格納する作業をしました.
このところ,低温の日が続いたので, ハーベスタのエンジンがなかなかかからない.左手でレバーを押して,右手でハンドルを回転させなければなりません. 右手関節障害で手術を受けたあと握力の少なくなった右手でハンドルをまわすのは大変・・・. 気温が高ければ数回でエンジンがかかるのですが, 低温の場合,1回に十数回ハンドルを回さなければなりませんが,それを数十回繰り返すことになります. 右手は疲れて無力状態になるし, 汗をかいてそれが冷えてからだに寒さが襲って来るし,最悪の状態に陥ることも少なくありません.
これまで, それを見ていた妻は,KUBOTAの湖南営業所の担当者の方にすぐ電話連絡するために家に戻ったのですが, その戻ってもうい一度棚田の田にやってきたときは,ハーベスタのエンジンはかかっていた・・・,というようなことが度々ありましたので, 今日は,それに見合う時間,エンジンをかける作業を繰り返しました. そして,あるとき, エンジンがかかり,ジーゼルエンジンのここちよい響きが棚田の田に響きわたりました.
そして,常夏川沿いの農道を帰っているとき,川下から軽トラがやってきました. 三叉路の直ぐ近くだったので,左折して,ハーベスタを通してくれるものだと思っていましたら,その三叉路を通り過ぎて,農道のまんなかに止まりました. 軽トラの車番をみると,"このみちはここらのもんの道だ.よそもんのおめえの自由には使わせねえ.下がれ! 通して欲しければ土下座しろ!" という農家・・・. 私は, ハーベスタの速度を遅くして百数十メートルバックしました. その軽トラ,"早くバックしろ!" と言わんばかりにハーベスタに軽トラを近づけて来ます. それをみていた妻は,その軽トラのそばに言って, "なんで,あの三叉路で左折しないで直進して,ハーベスタが移動するのを妨げるのか"抗議したそうですが, その軽トラのドライバーであるプロの農家が何を言っているのか,わからない・・・. それで,妻は,私のところにきて,"話が通じないわ・・・. あなたよく平気でいるわね・・・" と私に語りかけて来ました. 私は, "いつものことだから・・・. 認知症の症状のでているプロの農家と話しても意味はない" と低速で,バックし続けました.プロの農家のふるまいは,"ここらのもん"であるプロの農家の典型的な嫌がらせ・・・. 私は, 妻に,"すべては神さまにゆだねて,無視・・・" と答えました.
私は, 生まれたときから,からだがちいさく弱かったので, 他者と競うということはほとんど経験しませんでした. しかし, "ここらのもん" であるプロの農家は, 他の農家と自らを比べて優越感にひたったり劣等感に沈んだり,そねみ・やっかみ・いやみ・うらみ・つらみ・ひがみのるつぼの中を生きているのが常・・・.彼らのペースに巻き込まれて,自制心を失い,ハーベスタの移動に支障をきたしては行けないので, 最後まで冷静さをうしなわないで,国道294号線を横切って,妻の実家の門柱の近くまで持って帰りました.
妻は庭から普通車を取り出し,観音堂の前の農道に移動,私は, KUBOTAのトラクターJB15Xを旧国道に出し,ハーベスタを農機具の小屋に格納しました. 泥だらけになったハーベスタを水洗する森でしたが, 棚田から農機具の小屋まで移動している間に土はすべて落ちてしまったようなので,そのまま農機具の小屋に格納しました. そして旧国道にとめていたトラクタを農機具の小屋の入口まで移動しました. そして, 妻が積雪による二階の屋根から落下した雪で被害を受けないようにつくった仮車庫の屋根の下に普通車のYARISを駐車,軽トラを玄関先にとめて,午前12:00に, 午前中の作業を終えました.
妻は,トラクターが何の問題もないかのように動いてくれたことをとても喜んでいました. "雪が降る前にハーベスタを持って帰ることができてよかったわ.雪が降るとハーベスタが冷えて,エンジンがかからなくなりますものね・・・"ととても嬉しそう・・・. 作業のあとのここちよさを,妻と分かち合いました.
2025/11/15
午前10:00-12:00 棚田の田からハーベスタを持って帰って農機具の小屋に格納・・・
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