今朝6:00-8:00 ルターの独訳聖書を通読しました.
今朝は,CASIOの電子辞書を使わずに,紙の辞書,"独和言林" と "アクセス独和辞典第4版"(2021), "The Oxford Guide to People & Places of The Bible " だけを使って読みました.そのとき,感じた紙の辞書の快適さ,なになのでしょう・・・?
私は33~34歳のときに,右手関節炎を患い,右手で字がかけなくなり,横浜赤十字病院で,北里大学医学の田場教授によって手術を受けました.術後,右手が動かなくなっても苦情を出さないという書類にサインをさせられて・・・. 幸い, 手術は成功して,私の右手首も5本の指の関節も元通りに動くようになりました. しかし,そのあと何年にもわたって,右手の力が萎えて,1本の鉛筆が重く感じられ,10数分筆記すると痛みがきて,1週間ほど無力状態になりました.
神奈川教区の開拓伝道所の,日本基督教団阿佐ヶ谷東教会の別帳会員である役員たちは, "自ら障害者になり,障害児をもった牧師は,この教会にふさわしくない" として,日本基督教団元総幹事の阿佐ヶ谷東教会の牧師にその教会を譲るように強要してきました. 私は,その教会を離れて,西中国教区の山口の小さな教会,しかも,前任者が自害したという教会に赴任していきました.
その教会の書記担当役員をされていた木村兄は,徳山市議会の速記者の方で,富士通の日本語ワープロ・マイオアシスを使いこなしていた人でした. 私は, 彼からマイオアシスの使い方, ワープロ速記の技法(親指シフトキーボードと短縮登録の技法)を伝授され,彼よりもはやく打鍵することができるようになりました.
それまで,私は,説教原稿を作ることができず, 聖書の釈義の内容も,説教の枠組みも,説教の論旨もすべてあたまのなかにたたきこむことで急場をしのいで来ました. 原稿なしで,主日礼拝の説教壇にたち, 説教するのが,私のあたりまえのスタイルになったあと, ワープロ速記の技法を身に着けたのですが, 私の説教は, 原稿なしで,あたまのなかにある "原稿" にそって説教してきました.
教会役員会の要請で,副業をもつようになったとき,情報処理関連の仕事を副業にするように資料を収集したり方向つけをしてくださったのも,教会書記の木村兄でした. 木村兄は "足" の障害者,私は "手" の障害者・・・. "自ら障害者になり,障害児をもった牧師は,この教会にふさわしくない" と私を追放した神奈川教区の横浜の教会と違って, 西中国教区の下松のちいさな教会は, まったく別の教会でした. 私はその教会で30年間牧師としてその身を置くことになりました.神奈川教区の教会で,その専門家たちによって,"障害児"・"自閉児" とされた娘も,順調に育ち,そのうわさをかき消すように, 西中国教区の常置委員をされていた,山口教会の精神科の医師・和田先生が,"吉田牧師の娘さんは自閉児ではありません.私の質問によく考えてから適切な答えを返してきますので,あたまのいいこです"と診断してくださいました. その娘は,センター試験の2日目に体調を崩して得点がのびなかったものの,国立福島大学行政社会学部の後期試験に合格,その大学院まですすみました.
西中国教区の牧師をしている間,私は, 部落差別問題特別委員会の委員をさせられ,山口の地で部落差別問題に取り組むことを "強制" されました. 西中国教区山口東分区の牧師たちによる "いやがらせ"・・・. 彼らは,元日本基督教団総幹事の牧師の "弟子"達でした. 山口の地での30年間の取り組みは,2005年に,インターネットのブログ上で "部落学序説" として公開執筆しましたが,現在も,いくつもの試練を乗り越えて,Googleのブログ "部落学序説"で,"部落学序説" とその関連ブログ群の文章を読むことができます. それらの文章を書くときも,作業はすべて,頭の中で行いました.文章を書くときの用語・用法,論文の構成,史資料の引用・・・,全て, 私の頭の中で行いましたので, "部落学序説" の内容は今も私の頭の中にあります. つまり, "部落学序説" は私が真実だと思ったことを綴り,その綴った内容をいまでも保持しているということです.
それだけでなく, 副業としての情報処理関連の知識・技術も,すべてあたまのなかで行ってきたことなので,それらはすべて,私のあたまのなかで統一され,融合され,一体化されています.
そして, 2013年,日本基督教団の隠退牧師になり,東日本大震災と放射能汚染事故のあとの,妻のふるさと・福島県郡山市湖南町赤津村に帰郷・帰農したあとも, 私はそれまでの生き方を踏襲することになりました. すべての作業は,まず頭の中で行い,そのなかで見つけた最善解を実践することになりました.
帰郷・帰農後, 会津若松市と郡山市の間にある磐梯熱海の総合病院の整形外科で右手の痛みをとる治療を受けていましたが,あるとき,その整形外科の医師から,整形外科が廃止になることを告げられました.その整形外科の医師は, "この整形外科はなくなるから, あなたに,あなたの手の痛みをとる方法を教えてあげましょう"といって,紙に,手の解剖図を書き,私が手の痛みを感じる原因を解説,その痛みを自分でとるための方法を教えてくださいました. "薬品障害"の経歴をもつ私は医薬品を使わない方がいいので,セルフ・リハビリテーションの方法を教えてくださいました. "このことを教えると,整形外科の医師は食っていけなくなる"と笑っておられましたが・・・.
その整形外科の医師のアドバイスと,聖書の主イエスさまの右手の萎えた男を癒やす聖書の記事を精読して,私自身のためだけの "Out-Stretch"を見つけました."一日の苦労は一日で足れり" のみことばの通り,その日の農作業による痛みは,手だけでなく, 腕・足や腰の痛みも翌朝にはすっかりなくなり, 1時間ほどなら,右手で鉛筆で筆記できるようになりました.
しかし, 私は,頭のなかで作業して,頭の中に書きとどめる生き方を今日まで継承してきました. 右手で字がかけなくなったことは,私の人生における大きな試練であったけれでも,右手に依存しないで,聖書の主なる神さまのみことばを頭の中で考え,それを生きることが許されているのは, 主なる神さまが私に与えてくださった人生のなぐさめであったと思うようになりました.
今朝, CASIOの電子辞書を使わずに,紙の辞書,"独和言林" と "アクセス独和辞典第4版"(2021) のみをつかって, ルターの独訳聖書を読んでいるとき,主なる神さまに感謝の思いが募って来ました.失われいくものにこだわらず,残されたものを大切に行きていくことが,主なる神さまのみことばに生きる,感謝の日々に繋がるのだと・・・.
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