2025/11/28

"ここらのもん" から排除・疎外されたことで・・・

    2013年4月1日に, 日本基督教団の隠退牧師になり, 2011年3月11日に東日本大震災と放射能線事故にさらされた,東北福島の,妻の実家のある郡山市湖南町赤津村に帰郷・帰農した直後から, "ここらのもん" であるプロの農家たちによって, 排除・疎外に直面させられることになりました.

    "帰ってこなくてええのに, 帰ってくるからひどい目に会うんだ!"

    妻と私が帰郷・帰農しなければ, 妻の実家の家も,田畑も山林も,"ここらのもん"であるプロの農家のものになったのに, 帰って来たばかりに, 家も田畑も山林も自分たちのものにならなかった" と言う不満が引き起こした,"よそもん" の 妻と私に対する嫌がらせだったのでしょう.

    赤津村のプロの農家の申し合わせで,妻と私に対して,

    ・コメの作り方は一切教えない
    ・コメつくりに必要な肥料・農薬・除草剤などの農業用資材は一切提供しない
    ・コメつくりに必要な農機具は一切貸さない
    ・コメを仮に収穫したとしても販路を提供しない
    ・湖南農協の組合員にはしない

ことが決められていたようです. そうすれば, "貯金を使い果たして,2~3年で赤津村から逃げ出して行く.そうしたら, みんなで家と田畑と山林を分け合おう" と申し合わせていたようです.

    しかし, 彼らにとっては,"よそもん" の妻と私は, 想定外のことをはじめたようです.

    ・会津の篤農家・佐瀬与次右衛門の"会津農書"に従ったコメ作り
    ・ホームセンターで売っている発酵鶏糞のみを肥料にする
    ・野菜の種苗は援農ショップ・グラントマトで入手
    ・稲作の種籾は京都のうけんから通販で入手
    ・農薬・除草剤を一切使用しない
    ・育苗用ハウスを自作
    ・妻の実家の田の減反分を差し引いた面積で稲作をするのに必要な小型農機を入手
    ・必要な農具はコメリで入手
    ・自給用に有機・無農薬栽培し, 収穫した玄米は玄米保冷庫に保管 
    ・有機・無農薬で栽培した野菜は野菜直売所湖南四季の里に出展
    ・湖南農協ではなく, 湖南農協とは無関係の大槻農協の正組合員になる

    このことは,妻と私が,湖南の赤津村の農家の支援と協力によって,有機・無農薬でコメと野菜を栽培しているのではなく, それとはまったく無関係に, 妻と私が真実の神であると信じている,天地を創造し, 生きとし生けるものを守り育ててくださる, 主なる神さまの導きと支えによって,有機・無農薬でコメと野菜を栽培していることを証明することでもあります.

    過疎化・高齢化が進む,純然たる農村的地域社会では, その一時期,過疎化・高齢化によって離農する高齢農家が増えることで,比較的若い専業農家,プロの農家がその離農した農家の田畑を集めて大規模農家を指向しはじめます.  妻の実家の田畑も,その影響を受けて,農地の集約・収奪の現代的対象になっていたのでしょう(しかし,高齢化・過疎化が進みますと, 田畑は荒廃の道をたどりはじめます).

   妻と私が栽培しているコメの品種は, 湖南の赤津村のプロの農家が,"おめえ,バカでねえのけ? ここらではコシヒカリは採れねえ!" というコシヒカリ(種籾は栃木県産)とはえぬきとひめのもち (種籾は山形県産)を栽培することになりました. そして,2025年の現在まで,毎年,コシヒカリとはえぬき, ヒメノモチを収穫しています.

    標高550mの湖南高原の棚田の田で, 阿賀野川の源流のひとつである会津布引山にその源を発する常夏川の, 夏でも15°Cの冷たい水を, 瀬戸内の入浜式塩田で海水を温める方法を転用して常夏川の水を8~12°Cあたためて,有機・無農薬でコシヒカリ・はえぬき・ひめのもちを栽培しています. 常夏川の清流で育ったそれらのコメに,妻と私は, "なでしこ米"(常夏=なでしこ)と名付けています.

     "なでしこ米"は, 主なる神さまが,妻と私に与えてくださった恵みです.

    帰郷・帰農したとき, "ここらのもん" であるプロの農家たちから嫌がらせと排除・疎外に曝されたからこそ, その恵みは,主なる神さまの与えてくださった恵みになりました.
 
 

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