2024/10/11

65歳になると, それまでの生き方を変えない・・・

    2013年4月1日に日本基督教団の隠退牧師になり,東北福島の妻の実家のある福島県郡山市湖南町赤津村に帰郷・帰農しましたが, その年, 私は65歳・・・.

    老後をどのように生きて行くか, その指針を提供してくれるものの最たるものは聖書ですが, その他にも, いろいろな本があります. なかでも, 新井白石の "折り焚く柴の記" に記されている老いの生き方については大きな影響を受けました.

    私が, "65歳になると, それまでの生き方を変えない・・・" と決めたのは, その "折り焚く柴の記" の影響です. 新井白石は, "武士たるものは・・・" と武士に相応しい老後の生き方をかきい残していますが, その生き方は, 武士だけでなくすべての人に通じる言葉・・・.

    65歳になっても, それまで生きてきた生き方を変えない・・・. 日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会の牧師をしてきた私と妻は, 最初から最後まで清貧暮らし・・・. 老後もその清貧暮らしをつづけようと, 山口にいたときと同じ暮らしをしています. 年金暮らし&百姓暮らしですが, 山口にいたとき, 教会員の高齢の姉妹と一緒にバラスを敷き詰めた駐車場跡地を開墾して, ミニ菜園・お花畑・果樹 (ぶどう・柿・ゆず・ビワなど),庭木の垣根などをつくりましたが, 土つくり, 草の取り方, 有機・無農薬による野菜栽培のいろはを教えてくださいました. イネは栽培したことがありませんが大麦は栽培して麦茶をつくっていました.スイカ・メロンも, ゴボウや大根も栽培・・・, 湖南での百姓暮らしは, その延長です.

    私は, "元牧師"ではありません. 学校の教師は定年退職して数年は嘱託で教師を続けられるようですがそれが終わると "元教師" になります日本基督教団の牧師は,高齢になり現役の牧師をやめても, 牧師そのものをやめるのではなく, "隠退牧師" という "牧師"であり続けるのです. "元牧師" というのは, なんらかの事情で牧師を辞めたり,不祥事を起こして懲罰として牧師の資格を剥奪されたりした場合には "元牧師" と表現されます. "元牧師" は現在牧師ではないということが意味されています私は, 日本基督教団の教憲教規に忠実に牧師の伝道と牧会に従事してきましたので, いまだに, "隠退牧師" という名の "牧師" です

    隠退牧師である私は, 教会の宣教のわざである説教や聖礼典の執行に関与することはありませんが, "牧師" としての生き方, ものの見方・考え方は継続しています. "清貧生活" の継続はそのしるしです.人生の終わりの日がくるまで, "隠退牧師" は "牧師" としてその生をまっとうしなければなりません. "隠退牧師" になっても, 教会の宣教のわざとしてかかわった社会問題に関する姿勢は継続されることになります.      

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