毎年, 同じことの繰り返し, 湖南高原の棚田の田でのコシヒカリの有機・無農薬栽培・・・.
コシヒカリを最初に栽培した2014年は, 私のブログ "湖南村尻百姓記" に詳細に書きとどめました. その記録は, プリントアウトして冊子にしていますが, 素人百姓の妻と私が最初から標高550mの湖南高原の棚田の田で有機・無農薬で, 早稲のヒメノモチ,中早稲のはえぬき, 晩稲のコシヒカリを栽培・収穫することができたのは, 生前, 妻の実家のおとうさんと, 妻と私が帰郷・帰農後に有機・無農薬で米と野菜を栽培する方法について, 何度も何度も話し会いました. 原発事故のあと,"ここが放射能汚染されていたら,もうここさ帰って来なくてええ・・・" と寂しそうに話していましたが, "なにがあっても帰るから・・・" と放射能汚染の測定法と放射能汚染された田畑を除染する方法についても話し合い,おとうさんがまだ元気なときからその作業をはじめました. 妻と私の, 妻の実家の棚田の田での有機・無農薬での米と野菜の栽培は, 妻と私と義父との知識・技術の融合によるものです.
"ここらのもん" であるプロの農家の真偽不明のアドバイスより, 妻の実家の棚田と段々畑の田畑を知り尽くして愛していた義父の生前のアドバイスの方を重視して, 義父のアドバイスに従ってコメ作り,野菜つくりをはじめた結果が, "ここらのもん"であるプロの農家が, "おめえ, バカでねえのけ? ここらではコシヒカリは採れねえ!" と嘲笑する中で, 1年目も, 2年目も, 3年目も,そしてその後も現在に至るまで, コシヒカリをずっと有機無農薬で収穫してきました.
妻の実家のお義父さんは, "ここさ帰ってきても, 他の農家の田畑に手を出してはなんねえぞ. 有機・無農薬でいいものが収穫できるようになったら, 'そんなにいいものができるなら, 土地を戻せ! 自分でつくる!' といって, 農薬・除草剤で荒れた土地を有機・無農薬できる土地に改良するために, タダ働きさせられるだけだから. 親切に農機具を貸してやるといっても借りてはなんねえぞ! こわれかけた農機具を貸して,'おめえが壊したんだから, あたらしいものに買い換えろ!' と弁償させられることになる・・・. 赤津の農家の家にあがりこんではだめだ! あとで, 'おカネがなくなった' といって, とってもいないものを払わされることになる. 最初から最後まで, おらが残した農機具と営農資金で, 自分たちだけでつくれ! 歳をとれば取るほど, 同じ面積でも段々広く感じられるようになるから・・・. ここらの農家に栽培法について聞くな! ほんとうのことは教えねえから. おらの親類もかかあの親類もろくなのがいねえから, つきあわなくてええ・・・. カネの貸し借りは絶対にするな! 貸したら, もう戻って来ねえぞ!" と話していました.
妻の実家のおとうさんの "遺言" だと思って,妻と私は, おとうさんの言葉を守っています.
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