2024/10/26

自分自身のケアを give up することは・・・

    今朝5:00に起床・・・.

    6:30まで, ギリシャ語聖書の通読をしていましたが, 今日の聖書の箇所に "give up" という言葉が出てきました. 私がこれまで学習してきた "give up" の意味とは正反対の意味でもちいられていました. "私の誤訳・・・?" と思って, "逐語訳" をこころみましたが, 誤訳ではなさそうなので, Casioの電子手帳の "新英和大辞典"で引いてみますと, 現在使われている "give up" と 古語の "give up" とでは意味が正反対になることが分かりました.

    聖書において, "give up" することは, 人間の罪がもたらす結果, そのありさまを指す言葉であるようです. 人間は本来, 自分自身をケアすることができるように創造されています.自己介護は, 人間としての基本的な在り様です. 人はどんなに歳をとっても, 自分のことは自分でケアしていなかければなりません. 日常生活はもちろん, 仕事・職業・経済・法律・人間関係・・・すべての点において, 自分のことは自分で管理しなければなりません. 自分自身をケアすることをあきらめるとき, ひとは, 自分自身を, 自分ではない誰か,他者に,あるいは見知らぬ人々に自分の身を無条件に委ねることになります. その見知らぬ人々が, 他者を詐欺して利欲にはしる人ならば, いとも簡単に騙されてしまうことになります.

    "give up" は, 罪なのです. 古語の "give up" は, あきらめること=自分自身と神以外のだれかに自分の身をゆだねることを意味しているのです. 自殺も "give up", 自分で自分をケアすること・問題解決の努力を断念して, 自分と神以外のもの, "死" に自分の身をゆだね, 明け渡す, 神を信じない罪人としての営みなのです.

    人生は, すべからく神から貸し与えられたもの・・・. 与えられた人生の日々を走りお終えたとき, ひとはその人生を主なる神さまに戻さなければなりません. この世のひとの目から見てどんなに傷つき, 敗れた,とるにたらないと思われる人生であっても・・・. 人生の途上で, 人生を "give up" することは罪なのです. 自己依存でも他者依存でもなく, "真実" の神にのみ依存することが, 神によってつくられた被造物としての人間のあるべき姿です.
    
      

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