2024/10/09

哲学科を出ても中高の教師にしかなれない・・・

    高校生のとき, 進路指導の教師から, "なぜ哲学科に入りたいのか?" と質問サれたことがあります.

    その進路指導の教師によると, "国立大学の哲学科を出ても, 就職は困難・・・. 中学校や高校の社会科の教師にしかなれない・・・. 考え直した方がいい・・・" ということでした. 

    そのころよくいわれていたことに, "でもしか先生" というのがあります. 大学での4年間の学びにも関わらず, どのような職業につけばいいのか決めかねている人が, 学校教師に "でも" なろうかといって学校教師になった人と,ほかの職業につくための知識・技術をみにつけることができず 学校教師に "しか" なれなかった人・・・を指す言葉です. ある意味, 批判と嘲笑を込めて語られた響きがあります. その "でもしか" 先生が学校教育の現場でいろいろな不祥事を起こして社会問題化していく・・・. 問題がより複雑化していったのは, 誰の目にもあきらかな "でもしか" 先生の存在ではなく, "隠れでもしか先生" の存在・・・.

    私が高校生の時は, 国立大学のなかで一番入り安いのは学校教育学部・・・. 小学校・中学校の教師になるための養成機関で, 戦前の師範学校です. 戦前の師範学校・高等学校・大学は, 戦後一律に大学を名乗ることになったのですが, 師範学校と高等師範学校・文理大学を出た教師はその知力・学力に雲泥の差があるのが常でした.
 戦前がなんであれ, 戦後大学という名称で統一されたことで,  大学教育の大衆化が語られるようになりました. "でもしか先生"は, その大学教育の大衆化の流れの中で生み出された社会現象です. 

    現在は, "でもしか先生" はいないのかもしれませんが, "隠れでもしか先生" がいることはいうまでもないでしょう.
  

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