2024/10/30

εν άφθαρτος, イエスキリストへの信仰と愛・・・

    今朝7:00に起床・・・.

    昨日の農作業の疲れが出たようです. 妻も私も朝7:00に起床・・. 妻は, 朝の家事をすませたと田畑の様子を見にでかけました. 私は1時間ほどギリシャ語聖書を読んでいました. 

    εν άφθαρτος, イエスキリストへの信仰と愛・・・.

   φθαρτος は, 否定詞 ά + φθαρτος で, φθαρτος が英訳されるときは, "朽ちる" という物質的変化だけでなく, 人間的・社会的・法的・経済的・政治的なあらゆる "腐敗" を含んでいるようです. 英語辞典で確認しますと, "買収されない",  "お金のために不誠実になる", "お金のために犯罪に身をゆだねる"・・・など,お金に隷属し, お金のために人生の道を誤るすべての "金銭的腐敗" を含んでいるようです.

    湖南の赤津村のプロの農家は, "ここらは昔から盗ったり盗られたりしながら生きてきたんだ. 少々盗られたからといって文句言うんでねえ! 盗られてくやしかったら,おめも他の農家に行って盗ってきたらええべえ! それであいこだべえ!" という人が少なくないのですが, それはまさに,  φθαρτος な生き方・・・. 神を信じない不信仰なものの生き方・・・. 赤津村の盆唄で, "人はどうでも我さえ良けりゃ世間思わぬ欲の道" と歌われるほど, φθαρτος な生き方は, 赤津村のプロの農家の間に隅々まで浸透しているようです.

    その中で, 妻と私は,  ά + φθαρτος な生き方をしてきたのですから, それは, 主イエスさまのささえとみちびきがあればこそ・・・. "ここらのもん" から浮いた "よそもん"として生きていますが, 湖南の赤津村生まれの妻は,今年で山口の地に身を置いていた30年間を超えて福島の地に31年間身を置いたことになります.  "ここらのもん" という表現は, 生まれながらにして赤津村の出身であるという意味ではなく, ある種のイデオロギー的表現,思想的表現です. "ここらのもん" は, 出身であるかどうかに関係なく, 自分たちの利得にならない他者を排除するための言葉・・・. 妻のふるさと・湖南の赤津村に帰郷・帰農して今年で12年目・・・. 妻は, 生まれ育って地で, なお "よそもん" 扱いされています. 
   

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