2024/07/25

高齢になってなおコメや野菜を自給用に栽培しなければならない不幸せと栽培することができる幸せ・・・

    神さまに祝福された牧師と神さまに見捨てられた牧師の生き方の違い・・・

    日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会の牧師をしていたとき, 分区長の先輩牧師が, "神さまに祝福された牧師と神さまに見捨てられた牧師の生き方の違い・・・" について話をしていました.

    "神さまに祝福された牧師は, コメや野菜を自分でつくらなくても, 信徒が, '先生, これを召し上がってください' といって食べきれないほどのコメや野菜を持って来てくれる. しかし, 神さまに見捨てられた牧師は, 信徒が何も持ってこないので, 自分でコメや野菜をつくって食べていかなければならない. 吉田牧師は, '神から見捨てられた典型的な牧師の生き方をさせられている・・・" と私を批判・揶揄していましたが, 信仰者にとって, なにが幸で何が不幸であるかは自明のことではありません.

    化学肥料・農薬・除草剤を多用したコメや野菜を長年に渡って食べてきた, "神に祝福された牧師" であると自認する先輩牧師は, 腎機能障害に陥り,排尿困難に・・・.  脳にも残留農薬が蓄積され, 認知症の症状が出て判断にくるいが生じ, 隠退後,地価が安いからといって元同和地区内に新居を建てて, "神さまに祝福された" 人生をまっとうされているようです. いまだに, 信徒の方々が,その牧師と家族のためにコメや野菜を持って行っておられ, 安定した老後の日々を過ごしておられるのでしょう.

    それにひきかえ, その先輩牧師が, "神さまに見捨てられた" 牧師であると認定する私は, ほかの隠退牧師の半分に満たない年金暮らしを補うため, 自給用にコメと野菜を栽培を栽培しなければならない・・・.湖南のプロの農家がいうように, "除草剤や農薬を買うカネがなく", 手作業で田畑の草取りをしなければならない, そんな私は, 前期高齢期を健康裏に過ごし, 今は76歳の後期高齢期を生きています. "つくって健康, 食べて健康" のキャッチフレーズのもと, 日々, 聖書を通読し, 感謝と祈りと労働の日々を過ごすことを神さまに感謝しながら, 同信の妻と一緒に生きています.

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