2024/07/17

今朝は5:00に起床, ギリシャ語聖書を通読して・・・

    今朝5:00に起床・・・

    ギリシャ語聖書の通読をしましたが, ギリシャ語聖書を通読するのは, 今回がはじめて・・・. 聖書通読は日本語訳聖書と英訳聖書に限られていましたが,漢語訳聖書と独語訳聖書, ラテン語訳聖書, ヘブル語聖書はまだ通読したことはありません.

    実際に説教原稿を作成する前には, ギリシャ語・ヘブル語原典だけでなく, 持っている英訳・独訳・羅訳・漢訳聖書に目を通して釈義と黙想をするのが常でしたが, 隠退牧師になってからは, いろいろな訳を比較検証することはなくなり, どの原典・どの訳でも, 1冊の聖書を通読することが多くなりました. 聖書信仰を生きてきた私にとっては, あたりまえといえばあたりまえのことなのですが・・・.

    私の釈義と黙想の方法は,  日本基督教団富士見町教会の牧師をされていた,また鶴川学院の理事長をされていた島村亀鶴先生直伝の方法です. 島村亀鶴先生, 富士見町教会で神学生の日々を過ごしたひとに, 釈義と黙想, 説教の方法を指導されるのがめずらしくなかったようですが, いろいろな牧師の思い出話しに出てくる島村亀鶴牧師の指導内容は, 私が聞いた指導内容と重複するものはありません. 島村亀鶴先生, もしかしたら, 神学生ひとりひとりの "賜物" を見抜いて, それにふさわしい個別指導をされていたのかもしれません. 農村伝道神学校に入ってすぐ島村亀鶴先生から呼び出されて, 島村亀鶴流・釈義と黙想の方法を伝授され, その完全習熟を目指して神学校で勉学をすることになりました. 島村亀鶴先生からは, 説教のための釈義と黙想の方法だけでなく, 牧師としての生き方についても多くのことを教わりました. 私に, "君は私の弟子になりなさい" と入門を許してくださったのは, 島村亀鶴先生ただひとり・・・. 島村亀鶴先生にとっては, 私は, "無学歴・無資格 (Academic Outsider) のどこの馬の骨か分からない" 存在ではなく, 同郷・同胞・同信の存在であったようです.

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