2024/07/21

失いゆくものと残されたものと・・・

    76歳の後期高齢者の私は, やはり高齢化の波にさらされています.

    歳を重ねるとともに, 失いゆくものが徐々に増えてきます. 失いゆくものが多くて, なにとなく淋しさを覚えますが, 失われたものを取り戻すことは100%不可能・・・. 私の置かれた現実は昔も今も, そしてこれからも変わることがなく, 一宗教者としての清貧の暮らしと生活をまっとうすることになるでしょうから・・・. "清貧" は現代社会の中にあっては, 無価値に等しい生き方なのでしょう.

    私の弟は, "貧乏をしている兄貴は何の役にも立たない" といって音信不通になり, 姉の子供たちからは, 香典の額が少ないとクレームを出され以後交際しないと宣言され, 2013年4月1日に妻のふるさと・湖南の赤津村に帰郷・帰農したときは,妻の実家の親類縁者から, "吉田はカネさ持ってねえ! 付き合ったら損をするぞ!" と言いふらされ, 親類縁者だけでなく, 赤津村の農家からも疎遠になり, 30年間牧師をしていた日本基督教団西中国教区の牧師・信徒とは回線が遮断, 湖南農協からは正組合員にも準組合員になることも拒否され, ただひとつ会員になっていた湖南史談会からは, "吉田にできることはここらのもんにだってできる. よそもんはここらのもんの仕事を取ってはなんねえ!" と非難され, 湖南史談会から離脱・・・. "湖南史談会を踏み台にして郡山地方史研究会に入った" と意味不明の批判があとをたたず, 結局, 郡山地方史研究会からも離脱・・・. 高齢化と共に, 失いゆくものが増える一方, 最後まで手元に残るものは徐々に少なくなっていきます.

    日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会の牧師をしていたときは, くるまで10分走れば, 徳山市立中央図書館の1階の一般書や, 2階の郷土資料室の蔵書を自由に閲覧することができたので, 私自身の蔵書は必要最低限のもので良かったのですが, 2013年4月1日に, 妻のふるさと湖南の赤津村に帰郷・帰農してからは, 郡山市立図書館や郡山市歴史資料館に通うには片道50~60分かかり, 往復時間に2時間も費やすことになりますので, ゆっくり腰を落ち着けて文献に当たることはできません.それで, 蔵書を増やすことにしたのですが, 辞典・事典・ハンドブック・概説書・論文集・史資料・・・など, 3600冊を集めることになりました.歳とともに, 私に残されたものは, 3600冊の蔵書を通して, 古今東西の人々との精神的まじわりだけ・・・.

    最後まで残されるものとして, "The Complete Hebrew-Greek Bible" を用意していますが, 思惑通りにことが運ぶやらどうやら・・・.

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