村八分という言葉があります。その対象になった農家は、他の農家から、二分の例外を除いて、一切の交わりから遮断され、疎外されることになります。例外的な二分とは、結婚と葬儀・・・。なぜ、結婚と葬儀が例外になるのか・・・?
2013年4月1日に、妻の故郷湖南の赤津村に帰郷・帰農して10年になりますが、筆者と妻は、村十分を受け入れて、冠婚葬祭は、村の人々とはまったく関係がない形で行ってきました。村十分の典型は、筆者と妻を、JA湖南の組合員として受け入れないこと、コメと野菜の足売に必要な農業用資材を一切販売しないこと・・・、という、農協からの排除・・・。
年金暮らし&百姓暮らしの筆者と妻、妻のふるさと湖南の赤津村で10年間暮らしてきた結果、経済的に赤津村の農家に依存関係がなければ、村十分でも、有意義な暮らしをすることができるという確信を持つことができました。
2022/07/05
<村十分>でも暮らして生ける今の農村・・・
登録:
コメントの投稿 (Atom)
今年はじめてオタマジャクシを見る・・・
今日は, 気温・湿度・日差し・風共に快適な初夏の天気・・・. 妻とふたりで, 午前9:30-12:00 棚田の田で農作業をしました. 最初の30分で, 雨除け栽培用トンネルの南側をKUBOTAの管理機TRS70USで正転と逆転で2回耕耘しました. 正転で除草を兼...
-
猪苗代から戻ると、筆者と妻、すぐ着替えて農作業をはじめました。 妻は、段々畑の梅の木のある畑に作付けしたキュウリとインゲンの支柱のネット張り・・・。筆者は、棚田のひめのもちとはえぬきの田の草取り・・・。午後1:30~4:00、市販の農具を改造してつくった <水田熊手>型草取り器を...
-
1948年生まれ。出身地は、岡山県児島郡琴浦町、当時は、塩田と学生服の町でした。琴浦西小学校・琴浦中学校・岡山県立児島高校普通科出身。神学校は、鶴川学院農村伝道神学校。高校を卒業した後の職業は、大阪府職員、岡山県倉敷式の某医学研究所付属病院で臨床病理検査、さらにその後、専門商社に...
0 件のコメント:
コメントを投稿