2025/10/27

宗教者と成人病・・・

    今朝は6:00に起床・・・.

    昨夜も今朝も雨が降っていました. 今朝,ルターの独訳聖書を通読していましたが,今は, 旧約聖書のサムエル記・・・.

    今日の聖書の箇所は,ショッキングな出来事が記されていました.ペリシテひととの戦争によって,神の箱を奪われ,それを運び守っていた,祭司エリの二人の息子が戦死した場面・・・.

    それを聞いた祭司エリは,椅子に座ったまま後ろに転倒して,首の骨を折って死んでしまった・・・.

    私も, その聖書の箇所を読みながら, ショックを受けました.椅子に座っていたエリは, 98歳になり, 極度の肥満になっていた.歳とともに視力が低下していったエリは,そのときは失明状態だった. 祭司・エリの高齢化時代の姿は,祭司として,神のみまえに生きる,その隠れた生き方そのものを反映していたからです.

    祭司エリのふたりの息子は, イスラエルの民が神にささげた肉を,神にささげる前に, その肉の最上の部分を横取りしていました. 祭司エリは,イスラエルの民からそのことを告げられていたにもかかわらず,見てみぬふりをして, 息子たちが神から横取りした肉を食べに食べ,いつのまにか肥満に陥ってしまいました. 肥満は,当然,成人病を招き寄せることになり,糖尿病になっていたと思われます. 糖尿病に付随した高血圧・視力障害などの成人病を多数抱え込んでいたと思われます. それが,祭司・エリの98歳における突然死・事故死につながっていった・・・.サムエル記の記事は, 祭司エリの98歳における死について,多くの伏線を用意しているようです.

    祭司エリの死,それを, "宗教者の成人病"の話しとして, 一般して論じるのは適切でないのかもしれませんが,"宗教者と成人病"について考えることは決して無意味ではないでしょう. 祭司・エリが, 98歳まで長生きして, 祭司としての職務を遂行した・・・,ということ自体,祭司・エリが,主なる神さまによって祝福された人生を歩んできたしるしとして受け止められるでしょうから, 祭司としての幸いなる人生の末期に明らかになる神の裁きに思いを馳せることはほとんど不可能なことでしょう.

    2013年4月1日に,日本基督教団の隠退牧師になり, 2011年3月11日に東日本大震災・原発事故による放射能汚染にさらされた東北福島の, 妻の実家のある郡山市湖南町赤津村に帰郷・帰農した私と妻は,年金暮らし&百姓暮らしをはじめました. 春・夏・秋は農作業,冬は除雪作業おに追われますので,こころをかたむけ,頭を使い, からだを働かせますので, 結果として健康を維持し,成人病を患うことのない日々を過ごしています.

    妻は,毎日,ふたりで食べ切れる量しか,料理しません. つまり,残飯0の食生活をしています. 有機・無農薬で自作したコメと野菜を主体に,副食である,肉や魚は必要最小限にとどめています. そのため,体重は,農作業と除雪作業が継続してできる範囲にとどまっています.冬の積雪期,餌がなくて半数が餓死するというすずめたちのために玄米を除雪した庭にまいてやっていますが,スズメたちだけでなく, カラス・ハト・セキレイ・たぬき・あなぐまなども食べに来ますが. 残飯を提供することは100%ありません. 食生活においても "清貧生活"を徹底しています. ボウガケした稲を脱穀するために,農機具の小屋からハーベスタを取り出す準備をしていますが, 今朝, 玄米保冷庫のなかを確認しました. まだ, 2024年産玄米が30kg入✕8袋保管されていました. 今年のコメが例年通り収穫できますと,この冬スズメたちのために例年通りの餌を提供することができそうです.

    宗教者が成人病になる・・・. それは何を意味しているのか・・・? 祭司・エリの生き方を踏襲しているのかどうか・・・? 人生における,目に見える豊かさは,ほんとうの豊かさなのかどうか・・・?葬儀に際して語られる告別の辞がそのひとの人生の真実を語っているかどうか・・・? 神は, そのひとの生と死をどのようにうけとめておられるのか・・・? ひとは謎につつまれたまま,その人生を終えることになるようです.

    今日読んだ聖書の箇所は,その人生の謎のひとつを,祭司・エリの死のさまを通して語りかけてくるようです.

0 件のコメント:

コメントを投稿

宗教者と成人病・・・

    今朝は6:00に起床・・・.     昨夜も今朝も雨が降っていました. 今朝,ルターの独訳聖書を通読していましたが,今は, 旧約聖書のサムエル記・・・.     今日の聖書の箇所は,ショッキングな出来事が記されていました.ペリシテひととの戦争によって,神の箱を奪われ,それ...