今朝, 目が覚めると,"今日も生かされている・・・" と聖書の主なる神さまに感謝しました.
    生まれたときからからだが弱かった私は, "突然,激痛に襲われて死ぬことがある"と 医師や母から聞かされていましたので,朝,目が覚めると,"今日も生きている" と実感させられました.
    中学1年生のとき, 父から,詩篇付き口語訳新約聖書を譲り受け, 高校1年生のとき旧約聖書を読みはじめたころから,"今日も生きている" ではなく"今日も生かされている"と思うようになりました.それから60年以上,私は,毎朝,目覚めるときに,神さまによって生かされていることを感謝してきました.
    夜寝て,朝目が覚める・・・.
    それは私にとって, こどものころから78歳の今日にいたるまで,あたりまえのことではありませんでした.感染症にかかることは, 致命的な病気になる可能性をたかめることになるので,感染症に対する予防を怠りませんでした.そんな私が,某医学研究所付属病院の臨床病理検察室で一般検査・血液検査・細菌学的検査に従事していたのは,感染症予防に対する専門的な知識・技術を入手することができるのではないかと思ったからです.
    虎穴に入らずんば虎子を得ず 
    そんな私の傾向は, 日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき, 西中国教会総会で設立が決まったばかりの部落差別問題特別委員会の委員を押し付けられ,部落差別問題に取り組むようになりましたが,そのとき,部落解放同盟新南陽支部のある被差別部落の中で開催されていた学習会に参加することを許され,被差別部落の人々から,その被差別体験と差別を跳ね返して生きていく生き様を学ぶことができました.
     知りたいと思う世界にまず身を置くこと・・・.    
    日本基督教団の牧師になるために, 東京町田市にある鶴川学院農村伝道神学校で勉学していたとき,青山学院大学神学部助教授であった関田寛雄・実践神学教授が,卒業を前にした日,"つかわされた地でなにかができるかどうかではなく, そこに牧師として身を置き続けることが大切である"と訓示されていました. 関田先生の教え子は, 任地を点々とすることなく,その牧師として "一処懸命" を生きておられる方々は少なくありません. 同じ年に日本基督教団豊科教会に赴任していった丸山文雅牧師など,関田寛雄先生の, 実践神学の申し子です. 私は,最初の任地,神奈川教区の開拓伝道所を2年で "追放" され,その後30年間,西中国教区の山口の小さな教会に身を置き続けて来ましたが, 私は, 関田寛雄の不肖の弟子(弟子でもないか・・・). 
    ともかく,目が覚める都度,今日も生かされていると,主なる神さまに感謝しています. どこに身を置くことになっても・・・.
    関田先生は,私に,個人的なアドバイスをしてくださいました. "吉田くんは,つつがなく牧師をして,晩年に1冊の説教集を出すような生き方をしないほうがいい. 使わされた地で課題を与えられるから. その課題にとりくんで,実践神学の1冊の論文集を出した方がいい"と. 78歳の私は, いまだに1冊の本もだしていないので, その点でも,関田先生の弟子とはいえません. 
    私の師は,鶴川学院の理事長をされていた,日本基督教団富士見町教会の島村亀鶴先生だけ・・・. "私は, 地方のちいさな教会で野垂れ死にする身・・・" と話す私に, 島村亀鶴先生は,"心配するな! 私も同じように野垂れ死にする!" と語りかけて来られました.無学歴・無資格 (Academic Outsider)の私にとって,高嶺の存在であった島村亀鶴先生が,高嶺にとどまらず, 私の身近に立ってくださっているとの感を強くしました.
  
 
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