2025/10/11

菊池君と豚とメイクイーン・・・

    日本基督教団の牧師になるために, 鶴川学院農村伝道神学校に入学したとき, 同時に入学して菊池君に関する思い出は多々あります.

    入学した年の5月に, 神奈川県にある恵泉女子短期大学園芸科から, 5月の学園祭の招待状がきたとかで,農業概論と農業実習の教授をされていた井草正先生に連れられて, 菊池君といっしょに学園祭に出かけました,

    私は,大学という名のついた場所で行われる学園祭に出かけるのははじめたなので,とても緊張して, でかけるときは,株式会社ジューキという専門商社につとめていたときに身に着けていた青色の背広,新しいネクタイを締めて出かけました.

    恵泉女子短期大学園芸科のキャンパスは,広大な農地・・・. ちいさな丘が連なり, いろいろな花が咲き誇っていました. その間の道を,学園祭に来た老若男女が列をなして散策していました.

    そのとき,垣根の中に,大きな牛を見つけました.それで, 思わず,"大きな牛!" と声を上げました. すると, 近くにいた人々がどっと笑いに包まれました. すると,菊池君,"吉田君,これを見て牛だと思うのか? 吉田君が変わったことを言うので, ぼくまでみんなにわらわれるじゃないか.こちらから見てみろ,これは牛ではなく豚だ!"  私が牛だと思っていた動物が私の方を振り向いたとき, それは牛ではなく豚の顔でした. 菊池君は, "吉田君, 牛と豚の区別もできないのに, 農村伝道神学校に入ってきたのか?"と訝しがっていました.

    散策につかれて,野外劇場のような, 舞台と椅子が並んでいる場所で休憩を獲ることにしました. 私と菊池君は,最前列のまんなかの椅子に座って休憩していましたが, 5月の暖かい日差しと爽やかな風に囲まれて,私は熟睡してしまいました.

    そして,目が覚めたとき, あたりの雰囲気は一変していました. 野外劇場の椅子という椅子は人々によって埋め尽くされ,野外劇場の舞台の上では学生さんたちが忙しく動き回っていました. 私は, ここから離れようとしますと, 菊池君は "今, 席を立つのは不自然だ.このままいよう" といいますので, 席にすわりつづけました.  

    野外劇場でおこわなれるのは,その年の 恵泉女子短期大学の学生たちによって,学生の中から選ばれた,成績がよく,健康で,明るい美人の学生を "メイ・クイーン" として表彰する儀式でした. 司会をされていた教授の方が, "これから,ミス・メイクイーンに選ばれた学生がみなさまのところに行ってひとりの男性を選びますので,選ばれた人は前に出てきてください" とアナウンスされていました.

    そして, こともあろうに,そのミス・メイクイーンが私のところにきて,私の手をとって席から 立たせようとしました.そのとき,菊池君,"この人ではなく,私を選んでください" とミス・メイクイーンに猛烈アタックをしたのですが, "私はこのひとでいいです" と言われてショックを受けていました.

    野外劇場の舞台に引っ張り出された私は,そのミス・メイクイーンと"模擬結婚式"の写真を撮られ,頭の上からはなびらをかけられました.野外劇場にあつまった人々の視線を一身に集めながら・・・.

    しばらくして, 恵泉女子短期大学園芸科の教授から,そのときの写真が送られて来ました.その写真に写っていたのは, タレントのように美しい,大柄で,健康で, 頭のよさそうな,ウエディングドレスに身を包み, 頭に冠をいただいた女性の隣に, 背が低くて, 小柄な,どうみてもブサイクな顔をして, 案山子が背広をまとったような痩せたからだの私の姿がありました. それを見たとき,"これでは,美人と野獣の,ノミの夫婦でしかないではないか" と思いました.

    菊池君に,"五月の女王といっしょに撮った写真だ." と見せたところ,菊池君は,"五月の女王ではない.じゃがいも娘だ.吉田くんは,メイクイーンを五月の女王だと思ってきたのか? メイクイーンはじゃがいものことだ! そんなこともしらないで,農村伝道神学校に入ってきたのか?" と不思議がっていました.   
 

    その写真,半年後に,妻とであったときに廃棄しました. 変に誤解をあたえてもいけないので・・・. 妻は,"私もその写真見たかったわ! 捨てないでおいておけばよかったのに・・・"と話していました.

    菊池君と豚とメイクイーン,いまだに記憶が鮮明な思い出です.

 
  

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