2025/10/25

日本基督教団阿佐ヶ谷東教会から受けた経済的援助・・・

    今朝5:30に起床・・・.

    ルターの独訳聖書を通読していましたが, 昨日読んだところを再読して,さらに先を読み進めましたが,なかなか納得できる訳になりません. それで, 同じ箇所を,"英訳聖書"(NSRV)を開いてみたのですが, 英語でも理解できません. 文語訳聖書も読んでみましたが, 霧に覆われたようではっきりとその意味を汲み取ることができませんでした.

    祭司の子等のふるまい・・・.

    今日読んだ聖書の箇所を理解できないで逡巡しているとき, 日本基督教団阿佐ヶ谷東教会での信徒としての信仰生活の日々を思い出していました. 日本基督教団の牧師になるためには, Sweden Covenant Missionの教会から日本基督教団の教会に転会する必要がありました.そんな私を無条件に受け入れてくださったのは,無牧で,日本基督教団幹事の柏井創牧師が代務者をされていた日本基督教団阿佐ヶ谷東教会でした.

    私が,8月の夏休みに岡山に戻り,日本基督教団阿佐ヶ谷東教会への転会の手続きを済ませて帰ると,  教会の長老から, 私の転会祝と,幼稚園教師の方の受洗祝は, 秋に,あらたに教会の主任担任教師として牧師が赴任してくるので,その牧師の歓迎祝と合わせて行うと告げられました.

    その牧師は, 私が鶴川学院農村伝道神学校に入ったときの校長をされていた, 元日本基督教団総幹事の牧師・・・. "君のような無学歴・無資格で, どこの馬の骨かわからないものをこの神学校の神学生として受け入れたくはなかった. 鶴川学院の理事長の島村亀鶴牧師の推薦状をもってきたのでやむを得ず入学を許可した. しかし,君は,キリスト教会の名門の出である私の弟子になることはできない.そのつもりでいなさい"と私に引導を渡したその校長が,私が転会した教会の主任担任教師として赴任してくるというので,心配していましたが・・・.

    彼が,阿佐ヶ谷東教会に赴任してきたとき,私はすぐ牧師館に呼び出されました.そしてこう告げられました."私は,君を神学生としては認めていない. この教会でも,君を神学生扱いしない. 神学生のために出す教会からの奨学金も出さない.君に奨学金を出すと, 私たちの取り分が少なくなるので・・・". 私は, "一信徒として,この教会に転会しましたので, 神学生扱いされなくてけっこうです
" と答えました.

    それで, 牧師と牧師家族による "神学生扱いはしない" という流れと,教会役員会の長老たちや教会員たちによる,"神学生を,日本基督教団にふさわしい牧師に育てなければ・・・" という流れがぶつかり合うことになりました.

    あるとき, 牧師館に呼び出されて,"教会から神学生に対する奨学金は出さないことにしているが,聖書研究祈祷会に参加している信徒たちから,'毎月,書籍代をカンパで集めて神学生に提供したい'という話が出ている. せっかくの話だから,最初の1回分だけは,ありがたく受取り,カンパしてくださった聖書研究会の方々に感謝しなさい. しかし,あとは, 私たちが上手に断っておきますから,辞退しなさい'' と告げられました.

    日本基督教団阿佐ヶ谷東教会に身をおいて,一信徒として4年間信仰生活をしましたが,日本基督教団阿佐ヶ谷東教会から受けた経済的援助は,それが最初で最後になりました.そのときの書籍代5,000円に少しく足して,カール・バルト著作集の16・17巻の "説教" を購入しました.ほんの表紙の裏に,"1981年12月阿佐ヶ谷東教会聖書研究会より" と書き込んでいます. 阿佐ヶ谷東教会の聖書研究祈祷会のかけがえのない援助を忘れないために・・・.  

    日本基督教団の牧師になって, 阿佐ヶ谷東教会を離れたあと,毎年,阿佐ヶ谷東教会の長老の方から,クリスマスのお祝いと,妻と私の娘の誕生日祝を兼ねて,クリスマスカードと10,000円が送られてきました. 2013年4月1日に,私が日本基督教団の隠退牧師になるまでずっと・・・. 日本基督教団の隠退牧師になったとき, それまでの支えを感謝して, 送金をしないようにお願いしました. 日本基督教団の隠退牧師になり,東北福島の妻の実家のある湖南に帰郷・帰農したときは,年金暮らし&百姓暮らしをするので・・・.

    "私たちの聖化とは, 私たちが造り出し,こしらえ上げる業以外のものである.それは神のみ言葉の全能の要求である.そして,この結果については, つまり私たちの聖化では,すべての人々に知らせなくてはならないと言われているのである. そのために,私たちが何か特別なことをしなくてはならないことなどありえようか.

    私たちはただ神の厳しさといつくしみの下に膝をかがめ, ただまったく私たちのあるがままのものであればよいのである." (カール・バルトの"説教" の一節 )

    義認と聖化と,信仰のよろこびは,不可分に与えられる神のめぐみです.


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