2025/10/25

"生かして防ぐクマの害"・・・

    昨夜,妻が寝室の本箱にもって行っていた 米田一彦著 "生かして防ぐクマの害"に目を通していました.

    著者の米田さんは,私と同じ1948年生まれ.秋田大学教育学部卒業.卒業後,秋田県立鳥獣保護センターに勤務・・・. その後,"日本ツキノワグマ研究所"を設立・・・.

    本の表紙に, このような言葉が記されていました.

    ●本来の無害なクマに戻す"奥山放獣"
    人がクマの巨体を支える山の幸を奪ったため, 里の餌に依存する里クマを増やしてきた.有害駆除で頭数をむやみに減らしても被害は減らず,無害な山クマを減らし人に敵愾心をもつ手負いクマを増やす.里クマを山クマに戻す"条件つけ奥山放獣"は人とクマの共存をめざすための基本戦略

    米田さんは,ハンターに打たれたクマの姿をこのように綴っています.

    衝撃音が走り,
    火の矢は放たれた.
    少し白い時間が流れた.

    目を小さく開けると
    クマはまだ立っているではないか.
    思いもかけないほどおびただしい赤い奔流が,
    首から噴いている.
    生温かい流れは彼の足を濡らし,
    地面に広がり,
    その先は砂に滲み込まれていた.
   
    そして
    血の塊をげばっと吐いた.

    続けて起きた光景は,
    クマ追い人生の中で,
    決して忘れてはならない,
    魂を熱くするものだった.

    クマは己の死を前にして,
    地面に広がった我が血を,
    赤い血を弱々しく嘗め始めた.
    ピチャ,ピチャ.

    クマは失われつつある我が生命を,
    再び我が体内に引き戻そうとしていた.
    やがて自分に何が起こったのかを知ることもなく,
    前足をガクガクと折ると
    大地に吸い込まれるように体を沈めた.
    自分の赤い血で清められた大地にクマは横たわった.

    野生に君臨しただろう命の輝きが,
    ゆっくりと力を弱め,
    全身の毛がゆっくり縮んでいった.
    もう目には光はなかった.

    死に逝く刹那,
    クマの魂は, きっときっと
    自由の山野を飛翔したに違いない.

   ああ, お前と共にあの山のいただきに立てたらよいものを.
    
    人々はクマのことをケダモノと呼ぶが
    その荘厳な死に
    私の胸は締め付けられ,
    魂をえぐられる寂しさを感じた.
    こころを非力という鞭が打った.

    このやりかたは違う!


 
 
 
 クマ被害は,人間が,自然開発の目目のもとに自然破壊を行ってきた人間自身が身にまねいたこと・・・. 

    秋田大学教育学部卒業.卒業後,秋田県立鳥獣保護センターに勤務していた, 著者の米田氏がクマについて学んだ秋田県で, 10月24日事件が起きた. 

    "24日午前11時すぎ, 秋田県東成瀬村で男女4人がクマに襲われた.現場近くに住む佐々木喜行さん(38)が死亡.大工の佐々木秀雄さん(65)と, 横手市の無職佐藤健一さん(76), 恵子さん(72)の3人が頭部に重傷を負った. 地元猟友会のハンターが出動し, 午後1時すm,、現場近くで体長約1.2メートルのクマ1頭を駆除した. "

    秋田の人々は, なぜ, 米田一彦著 "生かして防ぐクマの害"から学ばなかったのでしょうか?学んで,クマとの付き合い方を知っていれば, ひともクマも死なないですんだでしょうに・・・.

    子連れの母クマが子クマと一緒に射殺される事例が相次いでいますが, 妻も私も, テレビのニュースでその様子を目にするにつけ, "胸締め付けられる" 思いがします.


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"生かして防ぐクマの害"・・・

     昨夜,妻が寝室の本箱にもって行っていた 米田一彦著 "生かして防ぐクマの害"に目を通していました.     著者の米田さんは,私と同じ1948年生まれ.秋田大学教育学部卒業.卒業後,秋田県立鳥獣保護センターに勤務・・・. その後,"日本ツキ...