昨夜、遅くまで、『観聖寺文書』の中の一通の書簡の解釈を文章化していました。
触下の朋正寺から触頭の観聖寺に送られてた書簡・・・。原文・区切り・語釈・読み下し文・使用辞書類・解釈・未読史資料の請求番号一覧・・・。観聖寺がでてくる古文書は、長野県立歴史館に所蔵されています。文献名と閲覧のための請求番号のリストを最後に添付しましたが、このリストは、前回、長野県を尋ねたとき、長野市立公文書館の主任研究員の方から教えていただいたもの・・・。武漢ウイルス騒動で、新幹線を使って長野へ旅するのにためらいがあって、まだ、長野県立歴史館を尋ねていません。観聖寺の跡地に住みその宗教遺産を継承しておられる吉田さん、今年、すべての公務から退かれるとのことで、『観聖寺文書』の整理をはじめられるとか・・・。
これまで、筆者が読むことを許された『観聖寺文書』は少なくありませんが、まだ、読んでいない古文書の中には、貴重な史資料が眠っているようです。たとえば、筆者の祖父・吉田永学の高祖父が、観聖寺を再建するとき、真言宗当山派の各寺院から受領した献金のメモ書きを読んでいますが、メモ書きではなく、正式の記録があるはず・・・。その寺院の古文書に、観聖寺に関する記録が残っていると思われますが、観聖寺の歴史を調べるための外部史資料の所在を示す可能性があります。真言宗観聖寺の住職・修験僧の行動範囲は、奈良・京都・紀州から江戸・武蔵・上州の広範囲に及びます。
先祖の歴史を調べる旅は、長野の吉田さんと筆者の二人旅・・・。
2023/03/30
昨夜、『観聖寺文書』のなかの一通の書簡の解釈を完了・・・
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