晴耕雨読の再開は、ルーマン著『社会の教育システム』からはじめることにしました。本のカバーに書かれていた本文の一節・・・。
<かりに、主体性が――内部に見いだせる<意識という事実>として――どんな人間にも備わっているとしても、教育によって変えたり矯めたりできるものが何であるのか、判然とはするまい。また、人間の主体性なるものから出発したところで、どんな社会のために人間を教育すべきであるかという問いについて示唆を得ることができるわけではない。・・・人間を類型化してとらえる記述が邪魔になって、いったい個別の人間とは何か、人間を他の個人たちから区別される個人にするものは何か、人間は教育できるものだという望みの根拠は何かという問題と取り組むことが、できなかった。・・・いまや、取り組みをせまられている第一の課題は、個別の人間それぞれと経験的に取り組むこと、そして、個別の人間についての理論的記述を、教育の可能性を出発点とする分析――まして教育の意図を出発点とする分析――の反映から完全に解放することでる>。
無学歴・無資格(Acadeic Outsider)の筆者は、社会の教育システムからの<逸脱者>・・・。特に、社会の教育が要求する、学校同和教育・社会同和教育の指に服せず、その有り様を批判的に検証しようとする筆者は、主体性をもって、一個人として、自らを既存の<同和教育>から解放しようする存在・・・。
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