夜、赤津地区中山間事業の総会がありました。
筆者、吉田農園の農園主である妻に代わって参加しました。集まってきたのは、地元の専業農家の方々ばかり・・・。勢い、筆者が耳にするのは、赤津弁・・・。会話の80~90%は、何を話しているのか、聞き取ることができません。英語の文献を読んでいるときのほうが、よく理解できるほど・・・。同じ日本語なのに、言葉が通じない・・・。ただ聞き取れる単語をつなぎあわせて、だいたいこんな話をしているのだろうと、其の会話の内容を推測するのみ・・・。
事業報告・決算・予算などの通常の議題のほかに、5年後、10年後の赤津の中山間における稲作に関する将来的な展望と計画に関する件が話し合われていたようですが、言葉が通じないので、なにがどう決められたのか、筆者は認識することができませんでした。
家に戻ると、妻が、<どうだったの?>と問いかけてきましたが、<5年後、10年後は、残った農家が、稲作放棄地を運用していくとか・・・>と答えましたが、<展望は・・・?>とさらに問いかけてきますので、<何を話しているのか、聞き取れなかった・・・>と答えざるをえませんでした。
2023/03/23
夜、赤津地区中山間事業の総会・・・
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1948年生まれ。出身地は、岡山県児島郡琴浦町、当時は、塩田と学生服の町でした。琴浦西小学校・琴浦中学校・岡山県立児島高校普通科出身。神学校は、鶴川学院農村伝道神学校。高校を卒業した後の職業は、大阪府職員、岡山県倉敷式の某医学研究所付属病院で臨床病理検査、さらにその後、専門商社に...
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