今でもインターネットで閲覧できる 杉山博昭著 "キリスト教社会事業家と優生思想" のなかに, こんな文章が掲載されています.
賀川豊彦の場合, 1980年代には著書のなかの部落差別表現を列挙して差別者として糾弾するという, 表面的な批判が中心であったために, 賀川の思想全体を実証的に批判することが十分なされなかったが, むしろ賀川の思想の根幹として批判的検討を加えるべきなのは優生思想である. 一連の賀川批判のなかで優生思想に本格的に触れたのは吉田光孝氏であろう. 吉田氏は賀川豊彦全集の通読を通して, 賀川の差別意識の背後には優生思想があると指摘している (*その文章は, "ある牧師の社会的差別意識" としてBlogger上で転載することにしていますが, 目次だけ掲載して本文はまだ未掲載です) .
確かに賀川の著作から優生思想にかかわる部分を取り出すのはきわめて容易である. たとえば1933年刊行の『農村社会事業』には「今日のやうに人間の血が汚れてきた場合には, 優生学的な選択を妊娠の上に大いに加へる必要がある. 村に善い村と悪い村があるのは, 一つはその住民の性質によることは争はれない. 悪質遺伝の多い村では, 将来発展する希望は非常に少ない. さうした村は衰亡するより道はない. その反対に, 優等な種を保存すれば, その村の繁栄は期して待つことが出来る」「私のゐた処の人などは実に狂暴で無智だから, さういう人は産児制限をする必要がある. X光線を五時間くらゐかけると, 絶対に子供を産まないやうになる. 薬を使つたりすることもあるが, 薬を間違へると危い. その中毒によつて後天的遺伝になる」と, 農村社会の改善を断種と「優等な種を保存」することで図ろうとしている. 戦後になっても, 主張は何ら変化することはない. 1949年に「産児制限論」と題して「善種を増殖せよ」と述べて「よい種であるならば, 少しの無理はあつても, 子供を多く作つて行つた方がよいと思う」とする一方, 「悪質遺伝者が, 子を多く生むならば, それこそ大変である」とし, 単なる断種にとどまらず, 「善種」の増殖を説いて, よりいっそう優生主義を強化している.
今日, 最高裁は, "旧優性保護法は違憲" と判決しました. テレビでそのニュースを見ながら, 日本基督教団西中国教区の牧師をしていたとき, 日本基督教団の指導者のひとりであった賀川豊彦の優性思想を批判したことで, 西中国教区の牧師・信徒から徹底的に排除疏外され嫌がらせを受けたことを思い出しました.
時代は変わる・・・. 差別社会から差別なき社会へ変わるのは大賛成・・・! 聖書信仰に生きいるキリスト者は, 時代から分離され, 時代に帰属・埋没することなく, 時代の中にあって, 時代のために信仰のわざをなす・・・.
0 件のコメント:
コメントを投稿