2013年4月1日に, 日本基督教団の隠退牧師になり, 妻のふるさと・湖南の赤津村に帰郷・帰農する前に, インターネットの日本の古本屋経由で, 日本全国の古書店から, 湖南の赤津村の歴史と民俗, 自然と地理,気象と産業・・・等に関する史資料を集めました.
そのとき, 妻の実家のある小枝町の東西南北の山の名前を調べました. 東の山は "立岩山", 西の山は "笹畑山", 南の山は "旗振山", 北の山は "能ノ山", 赤津村の村社のある山は "神聚山"・・・. 私が確認した赤津村の山は19山に過ぎませんが・・・.
帰郷・帰農する前, 春と秋に6日間, 妻のふるさとに, 妻の実家のおとうさんとおかあさんの様子を見に帰ってきたとき, 赤津村のプロの農家の方々に, 山の名前を尋ねました. そのとき, 衝撃的な言葉が返ってきました. "山は山だべえ? 山の名前を知ったって1銭の得にもなんねえべえ? おめえ, 変わってんなあ?" 湖南に帰郷・帰農したあと, 湖南史談会の会長をされている方に, 赤津村の山の名前が入っている古地図のコピーを求めました. 快諾されて, コピーを持ってきてくださったのですが, 山の名前の記載はありませんでした. 山の名前があったのは, 会津布引山だけ・・・. 確かに山の名前が入っている古地図ではあったのですが・・・.
小枝町の北にある, 朝日城趾の山は, いまでは, "能ノ山" というほんとうの名前は忘れられて, 固有名詞ではなく普通名詞の "城山" と呼ばれるようになっています.共同作業のとき, 城山の麓の草刈りをするというので, "城山って, どこにあるんですか?" と尋ねたところ, "おめえ, 小枝町に住んでいるのに, 城山がどこか知らねえのけ? なにも知らねんだなあ!" とみんなの前でバカにされたことがありますが, それ以来, 湖南の赤津村の山の名前のことは尋ねなくなりました.
赤津村は, 会津藩の製鉄所である会津製鉄所があった場所・・・. 鉄を出荷するときの検閲の関所がちいさな山の上にありました. その関所があった小さな山の名前を尋ねたところ, "赤津に会津製鉄所なんて, あったのけ?" という答えが返って来ました. それ以来, 会津藩の山里に属する赤津村のことについて尋ねることはなくなくなりました.
みんなで忘れば, すべてはなかったことになる・・・.
恐るべき忘郷の念・・・. 明治初年代, 会津製鉄所に関与したと思われる赤津村の村民によって贋金が作られ, 明治政府の官憲によって処罰された歴史を持つ赤津村・・・, みんなで忘れば, すべてはなかったことになる・・・, それなのに, なぜか, 石碑の記念碑が立てられている・・・. 時の流れと風雪によって石碑の文字が読めなくなったとき, ますます郷土の歴史の風化が進むことになりそうです. 会津藩の赤津村の歴史を知るのは, "よそもんばかりなり" ということにならなければいいのですが・・・.
2024/07/08
妻の実家から見える, 妻のふるさとの山・・・
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