今朝は, 6:00‐8:30, 独訳聖書を通読しましたが,同じ箇所を何度も読んだので単なる通読ではなく精読・・・.
なぜ, 精読することになったのか・・・.
それは, 聖書信仰と仏典宗教との違いと区別の仕方が明記されるように思われたから・・・. 目に見える仏像から, その背後にある目に見えない真理を探求する仏教的 "観察" (かんざつ) と 目に見えない神のことばに従って生きる "信仰" の違いが, 主なる神さまがモーセに語りかけたことばの中に表現されていました.
主なる神のみ顔を見るものは死ななければならない.
聖書の目に見えない神は, 人間がどんなに自分の目と心で "観察" (かんざつ) しようとしてもその姿,本質を見ることは出来ない. 人間が神を知ることができるのは, "観察" (かんざつ) ではなく, 神のことばである "聖書" のことばを認識・理解して,それを受け入れて,信仰の生涯をまっとうしようと決断するとき・・・.
"聖書" は目に見えない神の人間に対する "啓示" のことばです. 人間の側から真理を探求するのではなく,真理が人間の側に歩み寄り,人間にその真理を語ってくださる, そのみことばです.
中学1年生になったとき,中学校の図書室で最初に手にしたのが "新約聖書",そのあと,父から, "新約聖書" を譲り受けましたが, それ以来,ずっと,77歳の今日まで, 私のこころと生き方の拠りどころでした. 私の妻も,異教的世界 (神道と仏教) のまっただなかに生まれ育ったのですが, 福島県立安積女子校で勉学していたとき聖書に出会い,キリスト教主義の専門学校で幼稚園教師の資格をとる間に,日本基督教団巣鴨ときわ教会の藤原位憲牧師から洗礼を受けましたが, 妻も, 私と同じ聖書信仰の持ち主・・・. 妻も私も, 同じ聖書の神をまことの神として生きています. 昔も今も,そしてこれからも・・・. 主なる神さまのまもりと導き,恵みと祝福を信じて・・・.
2025/03/21
朝6:00‐8:30, 独訳聖書を精読・・・
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