2025/03/15

種籾の浸種桶を洗ったあと, 妻とふたりで棚田で作業・・・

    妻と私のコメ作りは, 種籾の塩水選と浸種から始まります.

    2013年4月1日に日本基督教団の隠退牧師になり,東北福島の妻の実家のある湖南町赤津村に帰郷・帰農した次の年から, 生まれてはじめてコメつくりを始めました.それ以前に,何年二もわたって,妻の実家のおとうさんと, おとうさんの田で, 有機・無農薬栽培でコシヒカリを栽培する方法について検証してきました. そのとき,私とおとうさんの間を取り持ってくれたのが, 会津の篤農家・佐瀬与次右衛門さんの "会津農書" (貞享元年(1684年)) です. 

    妻の実家のおとうさんは大の会津好き・・・. "ならぬものはならぬ" の謹厳実直の人・・・. 春と秋に帰郷するとき, その前に,私が読んだ農書を段ボールに入れて送り,それを元に,おとうさんと話をしてきました. おとうさんが一番関心をもったのが, 
会津の篤農家・佐瀬与次右衛門さんの "会津農書"・"会津農書附録"・"会津歌農書"・・・.  そして, "会津農書" の農法を現在に活かしている会津喜多方の農家の書いた農書・・・. 

    "会津農書" に, 会津の山田での種籾の播種についてこのような言葉があります.

    "種籾を浸すのは春の彼岸の中日とする.まだ寒気が強く,雪の消えないところでは, 彼岸が明けて九日か十日に浸す.しかし, ほんとうは
九日か十日に浸しては遅い.つまり, 彼岸の内ならばよいと心得て置くべきである. 雪が消えないところでは雪を掘り上げてでも浸すとよい" (会津農書の現代語訳)

    会津の篤農家・佐瀬与次右衛門さんの "会津農書" の, 会津の山郷での種籾の浸種ではじめるコメ作りについて, 佐瀬与次右衛門さんは, コメの刈入・格納のときまでの農作業のすべての作業について的確なアドバイスを提供してくれます. 当然,有機・無農薬栽培でのコメつくり・・・.

    2011年3月11日の原発事故による放射能汚染でショックを受けていた,東海村原子力発電所で季節労働者として働いていたおとうさんは,その年の秋, 私に,"分かった. おまえたちなら,ここらで有機無農薬でコシヒカリを栽培できる. おらの田畑はおまえらに任せた. おまえらが帰ってきても困らないように, 農機・農具と営農資金を残しておく・・・"と語りかけて来ましたが, 2012年1月1日に心臓発作で急逝しました

    2012年は, 毎月6日間帰省して, 妻の実家の田畑の "除染活動" をしました. 除染すればするほど, 放射性セシウムによる放射能汚染度が下がることを確認,妻の実家に帰省・帰郷して即,コメと野菜を自給用に栽培・収穫,それを食べて生きて生けると確信しました.妻の実家のおとうさん,義父から教えてもらったことは数冊の手帳にメモしています. 今年も, おとうさんと話し合って決めた農法でコメと野菜を有機・無農薬栽培します.  

    今朝は,農機具の小屋の屋根裏から,種籾の塩水選・浸種に使う桶2個をおろし, 水道水で水洗い, 水を蓄えて水漏れがないかどうか確認しました.

    そのあと, 妻と2人で棚田で作業・・・. 妻は,農業用ビニールハウスの中で,フルーツトマトとレタス,サニーレタスの種を連結ポットにまきました. 私はその間, 東側の農業用水路を塞いでいる東側の山の雑木林の枯れ木・朽木を取り除く作業をしました. 種まきを終えた妻が, 私が作業しているところまで見にきましたが, "うわ! 雪が解けて畔の土が見えてるわ! 蓮田の雪も解けはじめてるわ! あなたフキノトウは出てる・・・?" というので, 雪が解けて土が見え始めている土手の畔を確認しましたが, フキノトウを見つけることは出来ませんでした. 

      

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