それにしても,アメリカやイギリスの英語を話す宣教師に一度もあっていないとは・・・
中学1年生のときに、父から譲り受けた新約聖書を読むようになり、高校1年生のときに,日本語と英語の対訳新約聖書と,旧約聖書を読むようになり,高校2年生の1月に,高校の裏山の中腹にあった Sweden Covenant Mission の教会に通うようになり,高校3年生の12月に洗礼を受けて,名実共に基督教信徒としての生き方がはじまりました。
しかし,日本基督教団の牧師になるために神学校で勉学しているときも,日本基督教団の牧師として説教と牧会に従事しているときも,そして,東日本大震災と原発事故によってショックを受けた,東海村原子力発電所に季節労働者として働いたことのある,妻の実家のおとうさんが次の年の1月1日に心臓発作で逝去したあと,毎月1回,5~6日、妻の実家に戻っては,認知症の症状がではじめていたおかあさんの様子を見ながら,自分で田畑の除染を行い、2013年4月1日に,日本基督教団の引退牧師になり,妻のふるさと湖南の赤津村に帰郷・帰農・・・,その年から,有機・無農薬栽培で自給用にコメと野菜を栽培して年金暮らし&百姓暮らしをするようになりました.今年の3月11日で、東日本大震災と放射能汚染事故からまる13年が経過しました.2011年は1ヶ月,2012年は2ヶ月,2013年以降は12ヶ月,湖南の赤津村に身をおいて,妻と一緒に生きて来ましたが,その間,私は、アメリカやイギリスの英語を話す宣教師に一度も会うことはありませんでした.
これも,主なる神さまが、私に与えてくださった人生・・・.
2024/03/12
それにしても,アメリカやイギリスの英語を話す宣教師に一度もあっていないとは・・・
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妻の実家から見える, 妻のふるさとの山・・・
2013年4月1日に, 日本基督教団の隠退牧師になり, 妻のふるさと・湖南の赤津村に帰郷・帰農する前に, インターネットの日本の古本屋経由で, 日本全国の古書店から, 湖南の赤津村の歴史と民俗, 自然と地理,気象と産業・・・等に関する史資料を集めました. そのとき...
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