吉田向學は、筆者の曽祖父の名前・・・。幕末から明治にかけて、時代の変動期を生きた、信州栗田村の真言宗観聖寺の最後の住職の名前です。
近世幕藩体制下の真言宗当山派の修験僧・住職の名前は、幼名、元服したあとの名前、修験僧の名前、修験僧を隠退したあとの住職の名前と、いくつもの名前を持っているのが常・・・。明治政府は、新しい戸籍を作成するとき、生まれてから死ぬまでの名前をひとつに絞ることを求め、その結果、吉田向學は、修験僧としての名前を戸籍の名に選びました。そのため、吉田向學の名は、戸籍には出てきません。先祖の修験僧は隠退したあと、<○學>を名乗りました。筆者の父から、先祖は代々その名前に<學>がつくと聞かされていましたが、インターネットの日本の古本屋で『近世栗田村古文書集成』を見つけたことで、<○學>を手がかりに、筆者の先祖の歴史をたどり寄せることができました。
戦後日本の学校教育における教師は、生徒に、日本の歴史や民俗、祖先の家系や伝承に拘束されて生きることをやめて、ひとりの人間として、個人として生きることをすすめてきました。生徒が、そのルーツに依拠することは、悪しき封建的残滓にとらわれることであり、非人間的な生き方だと・・・。しかし、筆者が、中学1年生のときに、父から譲り受けた『新約聖書』は、イエス・キリストの系図ではじまっていました。『聖書』の神を信じる人々の、その信仰の連続の不連続、不連続の連続・・・、そのひとの<系図>は、決して切り捨ててはならないものです。
日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会の牧師をしていたとき、教会員の半数近くが、被差別部落の関係者であったことで、筆者は、牧師として、部落差別問題に深くかかわるようになりましたが、そのとき知らされたのです。被差別部落出身者の部落解放運動と、その先祖の歴史の継承とは反比例の関係にあることを・・・。そのような現実をもたらしているのは、被差別部落史の学者・研究者・教育者の差別思想<賤民史観>であると分かりました。<賤民史観>は、被差別部落の人々から、彼らの本当の歴史を奪い、その代わりに、極めて差別的な歴史観を植え付けることでした。被差別部落の人々を、通時的<賤民>にまで落とし込めば、彼らをそのような封建的な鉄鎖から自らを解放するために、日本の社会の社会主義化、共産主義化を目的とした左翼主義運動に動員できる、そういう思惑のために捏造された、<部落解放>という言葉とは真逆の歴史観です。
被差別部落の人々が、その先祖の歴史を自分でたどるのは、それほど難しいものではありません。彼らの先祖に関する古文書は、<武家文書>なのですから・・・。被差別部落出身の方々の先祖の歴史は、<村方文書>や<寺社文書>ではなく<武家文書>に多く残されているのですから・・・。
2023/02/10
吉田向學直筆の古文書・・・
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