2023/02/24

西日本新聞の記者がやってきて・・・

日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき、西日本新聞の記者の方がやって来られました。

筆者が牧師をしているちいさな教会のことは新聞だねになるようなことはないので、不思議に思っていましたが、筆者は、牧師として、どのようなひとの言葉にも耳を傾けるのが常でしたから、礼拝堂でふたりで話し始めました。

記者:この前、集会がありましたね。私も、取材に行ったのですが、そのとき、日本基督教団のどの教会のどの牧師がその集会に参加しているのか、チェックしていました。すると、当然参加していいはずの、吉田牧師さんの姿がそこにありませんでした。それで、吉田牧師さんがなぜ、その集会に参加されなかったのか、興味があって尋ねて来ました。
筆者:日本基督教団の牧師たちは、私をラディカルな牧師といって排除・疎外していますから・・・。
記者:ラディカルな牧師たちから、ラディカルといって排除・疎外されているんですか?なにかしたんですか?
筆者:いいえ、なにも・・・。ただ、神学校を出て最初に赴任したのが神奈川教区の開拓伝道でした。そのとき、神奈川教区基地問題小委員会に入れられていたのですが、そのとき、西中国教区の岩国兵士センターが、米兵に日本人女性を斡旋しているという情報が入り、神奈川教区の基地問題小委員会は、西中国教区の岩国兵士センターに抗議して文書を送ったのですが、そのとき、私の名前も連名で記載されていました。私がこの教会の牧師として赴任したあと、西中国教区の牧師たちがそのことを知って、私を、反核・反基地・反天皇制、自衛官合祀拒否訴訟などの運動から排除・疎外したのです。<我々が取り組んできた実績を否定したり横取りしたりするな!>といって・・・。
記者:そうですか・・・。でも、それはそれでいいことです。
筆者:どういうことですか?
記者:岩国兵士センターで指導的役割を果たしていた日本基督教団の牧師は、岩国の反基地闘争を頓挫させたからです。左翼主義運動に関わる人に共通していることですが、その日本基督教団の牧師は、左翼の運動家とスワッピング(夫婦交換)して、反基地運動を内側から破壊していったのです。吉田牧師さんが、他の牧師さんから排除・疎外されているのは、いいことだと思います。

教会の前任者は、社会派といわれていた牧師の一人ですが、いろいろな社会問題に関与していたようです。そのため、前任の牧師が自害したことを知らない方々が教会にやってきては、筆者の理解し難い話をして帰って行きました。

訪問者:前の牧師さんも、部落問題に熱心だった。あんたも、取り組んでいるのか?
筆者:いいえ、ただ、西中国教区の部落差別問題特別異委員会の委員をしていますが、いまだに部落差別とはなにか、よく理解できなくて・・・。
訪問者:部落の人間は汚れているとよく言われてきた。女郎になっても、部落だとわかると、<けがれている女は抱けない!>といって、拒否された。牧師さんは、部落出身のおんなを抱くことができるのか?
筆者:わたしには、妻も娘もいます。そんな問いかけは意味をなしません。
訪問者:そんなことはねえだろう。おれが知っている牧師は、部落のおんなを抱いたぞ!
筆者:そんなことはありえない・・・。牧師は、『聖書』の教えに反することはしません。
訪問者:あんた、他の牧師と違うな。おれが同じ質問をすると、みんな、<抱ける>
って返事する。学校の同和教育を担当している教師もみな同じだ。みんな、<抱ける>という。あんたみたいな人権感覚にとんだ牧師さんは、はじめてだ。あんたと話しをしても、面白くない。帰る・・・。

聖書主義・経験主義・実存主義・合理主義・相対主義的信仰の持ち主である筆者、こういう、理解不能の出来事や対話に遭遇、不愉快な、<逆差別>を経験させられながら、やがて、インターネットのブログ上で、部落差別完全解消を目指して、『部落学序説』の執筆をはじめるこになるのですから・・・。日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていた30年間は、岡山と鳥取の境にある大山の尾根を歩いているようなもの・・・。右につまづいても、左につまづいても、山肌を真っ逆さまに転げ落ちることになる尾根の狭き道を、まっすぐ目標の峰を目指して歩き続けるようなものでした。

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