日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会に赴任したとき、筆者が、高校生のときから身につけた、聖書主義・敬虔主義・実存主義・合理主義・相対主義的な信仰では、即座に理解できない出来事に多々遭遇しました。
たとえば、被差別部落出身とその関係者である教会員は、牧師である筆者に、このように要求してきました。<私たちは、牧師さんに要望があります。今の奥さんと娘さんを離縁して、私達が指名する被差別部落出身の女性と再婚してください。そして、牧師さんの本籍を、私達が指定する被差別部落の中に移してください・・・>と。
筆者、<それは、聖書の教えに反することです。私は牧師なので、聖書の教えに反することはできません。主が与えてくださった妻と娘を離縁するのは、信仰を捨てることと同じです。>と答えましたが、彼らは、<もし、牧師さんが私達の要望を聞いてくれるなら、牧師さんが、一生、私たちといっしょに暮らして行けるように献金します>といいます。筆者が<被差別部落に恣意的に戸籍を移すなど、そんなことはできないでしょう?>といいますと、<市の戸籍係には、被差別部落出身の人もいますので簡単に戸籍を変更できます>といいます。次から次へと無理難題を押し付けてられましたが、やがて、自分たちの要望が叶えられないと知った、被差別部落出身のリーダー格の教会員の指導で、被差別部落出身の教会員とその関係者は、教会を離脱していきました。筆者は、その教会を30年間牧会したあと、日本基督教団の隠退牧師になりその教会を辞任しましたが、そのときには、教会を離脱した、被差別部落出身の教会員とその関係者は、<天国に召されたり>、転会した教会のや牧師と役員会によって精神病院に入院させられたりしていました。<もし、牧師さんが私達の要望を聞いてくれるなら、牧師さんが、一生、私たちといっしょに暮らして行けるように献金します>という彼らの言葉は、当然、牧師を貶めるだけの<空手形>であったことが明らかになりましたが、聖書主義・経験主義・実存主義・合理主義・相対主義的信仰の持ち主である、筆者にとっては、彼らの言動は、聖書信仰とはまったく無縁の、<非聖書的信仰>以外の何ものでもありませんでした。
西中国教区の牧師たちは、<吉田牧師がいろいろ酷い目にあっているのは、吉田牧師が被差別部落の人に信頼されていない証拠! 前任者が自害しなければならないほど、牧師と信徒の間で問題があった教会に、傲慢にも赴任してきたのだから、自業自得!>と批難していました。ある牧師が、西中国教区の部落差別問題特別委員会委員長の牧師に、<吉田牧師が部落差別問題でいろいろ難題に直面しているようですから、アドバイスしてあげたら>とすすめたところ、委員長の牧師は、<吉田牧師は、出身教会(日本基督教団阿佐ヶ谷東教会・高倉徹牧師(元日本基督教団総幹事))からも、出身神学校からも見捨てられた存在。なんで私が彼を助けてやらなければならないんだ?>と立腹したそうです。
門外漢が、同和問題、部落差別問題にかかわるのは、筆者の経験では、とても大変・・・! 筆者は日本基督教団の牧師としてこの問題に職務上関わらざるを得なくなったのですが、そのような軋轢が鬱積する状況から、筆者が、日本基督教団の牧師として、2005年インターネットのブログ上で『部落学序説』を執筆するようになるのですから、なにがどうなって、そうなったのやら・・・?
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