2023/02/18

これまで読んだ『観聖寺文書』は84点・・・

昨夜、筆者がれまで目にした『観聖寺文書』の古文書の数を数えてみました。 全部で、84点・・・。

この84点は、『観聖寺文書』の一部でしかありませんが、筆者の祖父・吉田永學の先祖、信州栗田村の真言宗観聖寺の住職・修験僧の、民間宗教者としての生き方の足跡を尋ねるには十分です。預かった古文書は、はやく、長野の吉田さんに返却しなければなりませんが、<武漢ウイルス>感染のおそれがなくなるのはいつの日のことでしょう。

近世幕藩体制下の武士支配・百姓支配の各<身分>は、それぞれの所属する藩の自然・歴史・経済・民俗・文化によって多様性を持っていたと思われますが、それと同時に、すべての藩に共通した、金太郎飴の金太郎の顔のように、どこをどう切っても同じ顔が出てくる側面があります。

真言宗観聖寺の歴史を調べることは、ただ単に、筆者の先祖の歴史を調べることにとどまらないで、明治政府の宗教政策によって切り捨てられた修験道の本来の姿を明らかにするのにも役立ちます。無名の修験僧の生き様の背後に、同じ時代を共有して生きていた修験僧集団の生き様が控えているのです。

同じことは、被差別部落の人々がその先祖の歴史を調べることについてもいえます。ひとりの被差別部落の人の先祖の歴史を調べることで、そこに、近世幕藩体制下の司法・警察であった穢多役・非人役の真実の姿をたぐり寄せることができるのです。先祖の歴史は、他者にとって無意味であっても、その歴史は、つねに、個人的な歴史の枠組みを超えて、多くのことを私達に語りかけてくれます。

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