有機・無農薬栽培をはじめて今年で10年目になります。
最初の数年は、元気丸などの自然農薬を使っていましたが、最近では、自然農薬もほとんど使わなくなりました。元気丸は、唐辛子・にんにく・酢・焼酎などの食品でつくるので、いわゆる化学薬品でつくられた<農薬>ではありません。
しかし、最近は、その自然農薬を使わなくても、有機・無農薬で米と野菜を栽培することができるようになりました。有機・無農薬栽培の<有機農法>から<自然農法>に近づきつつありますが、それはあくまで近づいているというだけで、<自然農法>に移行するつもりはありません。<自然農法>を<循環農法>だとしますと、<循環農法>を維持する環境にはないからです。農地から収奪(収穫)したものを農地の外に出していますので、収奪した土壌成分は補填する必要があります。
筆者と妻、高齢化に対応して、コシヒカリの田を2分して、コシヒカリとレンゲを隔年で交互に栽培して有機肥料を田で生産する方法を考えていますが、今年は、後期高齢期の前の年なので、その準備をすることにしています。棚田の田の一部をレンゲ畑、菜の花畑にするつもりですが、孫の向学ちゃんと遊ぶことができる場所になるかもしれません。
2022/03/17
有機・無農薬栽培をはじめて今年で10年目・・・
登録:
コメントの投稿 (Atom)
昨夜, 右腕の痛みの原因を調べる・・・
昨夜, 右腕の痛みの原因を調べました. 2013年4月1日に日本基督教団の隠退牧師になり, 東北福島の妻の実家に帰郷・帰農するとき, 妻の実家のおとうさんから郡山市湖南町赤津村は昔から無医村であると聞かされていましたので, インターネットで国立大学医学部のカリキ...
-
猪苗代から戻ると、筆者と妻、すぐ着替えて農作業をはじめました。 妻は、段々畑の梅の木のある畑に作付けしたキュウリとインゲンの支柱のネット張り・・・。筆者は、棚田のひめのもちとはえぬきの田の草取り・・・。午後1:30~4:00、市販の農具を改造してつくった <水田熊手>型草取り器を...
-
1948年生まれ。出身地は、岡山県児島郡琴浦町、当時は、塩田と学生服の町でした。琴浦西小学校・琴浦中学校・岡山県立児島高校普通科出身。神学校は、鶴川学院農村伝道神学校。高校を卒業した後の職業は、大阪府職員、岡山県倉敷式の某医学研究所付属病院で臨床病理検査、さらにその後、専門商社に...
0 件のコメント:
コメントを投稿