2022/03/22

午後、ヤスパース著『哲学』(全3巻)を読んでいました・・・

今日の午後、ヤスパース著『哲学』(全然3巻)の続きを精読していました。

この『哲学』(全3巻)は、1930年代に公刊されたものですが、<限界状況>という言葉が繰り返し出てきます。歴史的状況の中で、全世界の人々が<限界状況>について考えざるを得なかったのでしょう。

<限界状況>をどのように受け止めるか、それは、その人の置かれた状況の中で、実存的に認識しなければならない類のものです。その<限界状況>に一定の対処法があるとしたなら、それはもう<限界状況>ではなくなります。<限界状況>でなくなるということは、その人が真剣に自分の生、他者の生について考えることをやめてしまったということを意味します。

たとえば、戦争状態に直面したとき、松山善三著『氷雪の門』に出てくる俊子さんのように、日本が8月15日に戦争を終結したあと、ソ連軍が日本領の樺太や千島列島を侵略、日本軍が無抵抗であることをいいことに、日本国民を艦砲射撃や戦車の砲撃、ロシア兵の銃撃によって、樺太や千島列島の日本人は、男も女もこどもも、蹂躙・強姦・虐殺されました。そのとき防空壕に1歳のあかちゃんと一緒に避難してきた俊子さんは、限界状況に立たされます。俊子さんの子供が泣きはじゃいめたのです。その鳴き声で、ソ連兵がかけつけ、防空壕に避難していた日本人全員が殺害されることを恐れた在郷軍人の一人が、俊子さんのあかちゃんの首を絞めて殺したのです。ソ連兵と同じ恐ろしいことをした日本人・在郷軍人のいる防空壕を、俊子さんは殺された赤ちゃんを抱えて飛び出すのです。

限界状況は、その時その場で、どう判断して、どう決断して、どう行動するかということを人間ひとりひとりに語りかけてきます。そのとき、その場で、自分の全存在をかけて決断しなければならないのです。現代の摩訶不思議な日本の政治家の中には、<共産主義国家のロシアの軍隊と戦いを続けるか、あかちゃんのいのちを救うために降伏するか>という問いを他者に投げつけるひとがいます。彼は、<あかちゃんのいのちを救うために降伏する>といいます。彼は、政治家です。政治家なら、自分のあかちゃんだけでなく、日本人すべてのあかちゃんのことを考えなければなりません。いやしくも行政の長たるものは、自分のあかちゃんだけでなく、すべてのあかちゃんの命をまもるための最善の戦いをしなければならないのではないでしょうか。その政治家の発想は、政治家の名に値しない、ヤスパースのいう<空虚な主観性>以外のなにものでもなく、彼の主張は<我意>以外の何物でもありません。<共産主義国家のロシアの軍隊と戦いを続けるか、あかちゃんのいのちを救うために降伏するか>という、非人道的な問いかけをしてくるロシア兵が、降伏したことで、親も子供も生かしてくれるという保障は一切ありません。彼が善意のロシア兵であるなら、もともとそんな不条理な問いかけをしてくることはないでしょう。日本の政治家の中には、共産主義国家やその軍隊の軍事行動に対して<解放>という名の<きれいな侵略>、<きれいな戦争>だと受け止める向きが少なくないようです。現実を直視することができない敗北主義は、根源的な敗北を招くのみです。<あかちゃんを殺すようなことをすれば、いのちをかけて抵抗し、それがかなえられないときは、時空を超えて必ず報復する>、政治家は、共産主義国家、ロシア・中国・北朝鮮、そして、日本侵略を高言する勧告に対して毅然とした態度を示す必要があります。降伏の大義名分を最初から考える政治家は、<売国奴>以外のなにものでもありません。日本基督教団の隠退牧師である筆者は、そう思います。

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