中学3年生のとき、小学3年生のときから親友であった尾崎敬市くんから、一緒に少年自衛官になろうと誘われたことがあります。彼は、彼と筆者の2人分の願書を取り寄せていました。少年自衛官になって何をするのかといいますと、ジェット戦闘機の整備・・・。
彼と筆者は、願書に記入して、進路指導の教師のところにもっていったのですが、願書と、そのパンフレットを見た教師は、笑い出しました。願書に書かれたことから判断して、彼は、片方の視力が悪く欠格、筆者は所定の身長に満たず欠格・・・。担任の教師は、<戦前でいえば、君たちは丙種合格だ。丙種合格の意味が分かるか? つまり自衛官にはなれないということだ。受験する前から不合格が決まってる。尾崎が少年自衛官になりたいというのはわかるが、なんで吉田が少年自衛官になるというんだ? 病弱で健康に不安があるのに・・・。丙種合格どころか丁種合格だ。丁種合格というのは、吉田は逆立ちしても自衛官にはなれないということだ。ふたりとも、進路を考えなおしたほうがいい>と話していました。
親友の尾崎くんは、格闘術や護身術を独学で身につけて、それを筆者に教えてくれました。実施訓練も・・・。小学5年生のとき、ほかの同級生に誘われて、空気銃の射撃訓練をさせられたことがありますが、1人3回の射撃で、筆者は、3発とも的に当たっていました。別の尾崎くんから、ロケット燃料(琴浦西小学校校区では入手が簡単)をもらって、ペンシルロケットをつくり、発射実験をしたことがあります。中学校のとき、理科クラブで黒色火薬を大量につくり、理科クラブの顧問の教師と尾崎くんと筆者の3人、罰として、校長室の前の廊下に立たされたことがあります。
中学生のとき、隣接の琴浦西小学校の校庭に自衛隊が大砲と共にやってきて、尾崎くんと筆者はそれを見にでかけましたが、そのとき、自衛官の方から、<きみたち、どじょうがとれるところを知らないか?>といわれ、尾崎くんは、<理科クラブでドジョウやフナを採取している池なら大量にとれる>と話していました。自衛官の方から、<その場所へ、私たちを連れていってほしい>といわれ、尾崎くんと筆者は、自衛隊の一小隊の先頭に立って、ドジョウが大量にとれる場所へ案内しました。小隊長の方から、<君たちも一緒にドジョウ鍋を食べていかないか>とすすめられましたが、辞退しました。海の魚が豊富にとれる瀬戸内海沿いに住んでいて、ドジョウを食べるひとはほとんどいませんでしたから・・・。
2022/03/16
中学3年生のとき、少年自衛官になろうとしたけれど・・・
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