2022/03/23

先生、殺しちゃだめ!

日本基督教団の牧師になるために農村伝道神学校に入りました。その夏、日本基督教団阿佐ヶ谷東教会に転会することが許され、神学生の間、阿佐ヶ谷東教会の一信徒として過ごすことになりました。神学校に入って3年目、4年生のときのはじめての夏期伝道実習でのできごとを『部落学序説』に記していました。その教会の保育園に、ちいさな3歳児の女の子がいました。牧師夫人の園長から、その女の子の首にある傷は、母親が一家心中をしようとして我が子の首に斧を振り下ろしたときについたもの、溢れる血を見て恐ろしくなった母親はすぐ救急車を呼んだそうですが、その女の子はそのときのショックで言葉を話すことができなくなったそうで、いつもその女の子のめんどうをみるように言われていました。そんなある日のこと・・・。
 
<25,6年前のことになりますが、岐阜県のある村で、ひと夏、教育実習を受けたことがあります。村にある、たったひとつの保育園で、小さな園児たちと一緒に過ごしました。その村は、岐阜県の白川というところで、教育実習にでかけていってみてはじめて、飛騨の白川ではなく美濃の白川であると知りました。白川には、飛騨川の支流として三つの川、赤川・白川・黒川が流れていますが、川底の石の色でそのような川の名前がつけられています。

教育実習の期間中、私の宿白場所は、村で唯一の料亭の座敷・・・。来る日も来る日も夕食は、刺身と酒。刺身でないときは、近くの川でとれた鮎や鱒の塩焼き。アルコールに弱い私は、数日間で辟易して、普通の食事にしてもらいましたが、その料亭のおかみさん、「余所の人に粗末なものを出しては申し訳がない」と言って、教育実習の間、ずっと刺身と酒を用意してくださいました。

園児の父兄の家を家庭訪問すると、どの家でも、原田がいう「冷酒」が出されました。「お暑いでしょう。お冷やをどうぞ」と出されたものですから、私は一気に飲み干そうとしましたが、一口飲み込んだ瞬間、清酒だと分かりました。そのあとがたいへんでした。次の家を訪問すると、やはり、「お冷やをどうぞ」と出てくるのです。「もしかして、これって、お酒ですか」と尋ねると、「もちろんです。」という答え。「あの、私、飲めないのですが・・・」とお断りすると、「まあ、ご冗談を。前のうちでは、たいそう立派な飲みっぷりだったそうではありませんか」といいます。もじもじしていると、そのお母さん、急に眉をつりあげて、「前の家で飲めて、うちでは飲めないということなのですか」といいます。しかたがなく、私は、一気にコップの酒を水だと思ってのみほしました。それから、更に、4、5軒。最後の家は、駐在所のおまわりさんの家でした。「ああ、やっぱり飲まされましたか」と、うれしそうににこにこしておられました。この村に赴任するのはよそう。アル中になってしまう、私は、心の中で決心していました。

「飛騨の白川もいいが美濃の白川もいいところ・・・」と村の人々がいう白川でのひと夏、私は、いろいろな経験をさせられました。私が宿泊していた料亭の部屋の前は、白川が流れています。一晩中、せせらぎの音が、けたたましく聞こえます。「せせらぎ」というのは静かに聞こえるものだと思っていたら、私の耳には「ごうこう」という音に聞こえます。眠り浅いまま、朝はやく目を覚まして、私は、その白川の岸に下りてみました。すると、そこに猿が1匹いて、川の水で顔を洗っていました。私は、はじめてみる光景なので、その猿の仕種をじっとみていたのですが、またたくまに、村の人々の間にうわさが流れました。「今度きた保育園の見習い先生、朝、川で顔を洗っている猿をみて、朝のあいさつをしていたそうだ・・・」。村の人々にとって、余所者はめずらしいのか、何かにつけて、物笑いのタネにされているようでした。

ある日、隣村の古い映画館で、「トラック野郎」の岐阜県編の上映会があるというので、近所のこどもたちと一緒に歩いてでかけました。夜道を歩いていたとき、「シャーン、シャーン、シャーン、シャーン・・・」という不思議な、しかし、静かで、きれいな音が、近づいて遠ざかっていきました。「今の音、何なの?」と小学生たちに尋ねると、「ええ、先生、あの鳴き声知らないの?みんな、この先生、あれが何の鳴き声か知らないんだって」とみんなでくすくす笑うのです。女の子が、「あれは、雌きつねの鳴き声」といいます。「ええ、きつねって、こんこんとなくのではないの?」と聞き直すと、みんなどっと笑って、「本当にしらないんだあ」とからかいます。

ある時、川の淵にこどもたちを連れて泳ぎに行きました。私は、泳ぐことができないので、こどもたちがいつも泳いでいる、いちばん浅い淵に行きました。川で水遊びをしていると、川の向こう岸から、蛇が頭をあげて、こどもたちが泳いでいるこちらの岸へやってくるではありませんか。私は、こどもたちが蛇に噛まれてはたいへんであると思って、「あがれ、あがれ」と手振りを交えて、こどもたちを岸へあがらせました。同時に、私は、こちらにやってくる青大将めがけて、河原の石を投げ続けました。そして、ふと、不思議な違和感に包まれていることに気がついたのです。石を投げる手をとめてこどもたちの方をみると、こどもたちが、私の方を冷たい視線でにらみつけているのです。こどものひとりが口を開いて、「先生、なんで蛇に石をぶつけてるの。けがするじゃない」といいます。蛇の方をみると、岸にあがってきた青大将の頭から血が流れています。「この蛇は、ぼくたちの友達だよ。みんなが泳いでいると、いつも一緒に遊びに出てくるの。」、私は、しまったと思いましたが、あとのまつりでした。蛇は、頭にけがをしたまま、向こうの岸へと姿を消していきました。

私は、そのとき、予断とか偏見というのが、どういうものか、身を持って知らされました。「蛇は邪悪な生き物。人間にとって危害を与えるもの。」・・・、私の頭の中には、いつのまにかそういう予断や偏見ができあがってしまっていたのです。その結果、保育園のこどもたちの大切な「友達」に石をなげつけ怪我をさせてしまいました。「自分の中にある諸々の予断や偏見を取り除かなければ・・・」、そのときこころからそう思ったのです。

蛇に石を投げつけていたとき、3歳児の女の子が、私の足にしがみつきながら、「先生、殺しちゃだめ」と言っていた声をいまだに忘れることはできません。

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